tedukurikotoba (2563)

食指が動く

【漢字】食指が動く 【読み】しょくしがうごく 【意味】欲や興味が湧いてくる。 【例文1】友人の買い物に付き合い食指が動く。 【例文2】グルメ番組を見て食指が動く。 食指が動くという諺がありますが、今までは料理がおいしそうの意味だと思っていました。しかし食欲だけに使われるのではなく、興味がある分野において使われることがあるのがわかりました。ドラマなんかを見ていて人差し指を動かすシーンがありますが、料理が出てくる場面が多かったので今まではそれを食指が動くだと勘違いしていました。元は食事にありつける意味だったのが、興味が起きたり意欲が湧いたときに使われるようになることを知りました。人を呼ぶときに上から目線で人差し指でこっちこいをすることがありますが、あれも食指が動くと思っていましたがまた違うようです。先日、競馬競馬を見ていて強い馬なのに人気がなくて、食指が動くと書かれた新聞を見ました。おいしいという意味が食事以外にも使われているのでなるほどと思いました。勝負の世界において、これはおいしいと思うとき食指が動くという使い方があるのを知ったときシャレているように感じました。スポーツでも強い選手を獲得するときにオーナーの食指が動くと聞いたことがありますが、おいしい選手を獲得できるという意味で使われます。プロ野球のドラフト会議でも2017年に清宮選手を獲得した日本ハムは食指が動いたのではないでしょうか。

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灸を据える

【漢字】灸を据える 【読み】きゅうをすえる 【意味】悪い事をしたらきつく注意する。罰を与える。 【例文1】昔、弟をイジメては母からお灸を据えられてたな。 【例文2】カンニングした生徒に灸を据える。 仕事ができないし、仕事をしない同僚がいます。 見ていてイライラします。 とにかくミスが多いのです。 以前教えたことを何度も間違えます。 そしてそのような時、その人は決まって「あれ、おかしいな?さっきちゃんと確認したんだけどなぁ?」 はあ?なんですか?勝手にパソコンのキーボードやマウスが動いてデータを変えたとでも言うのですか? いいから修正してくださいよ。間違えていることは事実なので。 あなたがきちんと入力できていたかとか、あなたがきちんと確認したのかとか、もうどうだっていいんですよ。そんなこと誰も興味ないんですよ。 周りで聞いていてイライラしながらそう思っています。 そしたらこの人とペアを組んで仕事をしている派遣社員の方の出番です。 彼女はとても仕事ができます。この部署にも長くいて、この部署のことは一番詳しいと言えます。 部内のみんなに頼りにされています。 その派遣さんが仕事が出来ない同僚に「そんなことはどうでもいいので早く訂正してください。もう少し落ち着いてお仕事してください。そんなに難しいことはお願いしてませんので!!!!!」 ドでかいお灸を据えるのです。 痛快です!かっこいいです!

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果報は寝て待て

【漢字】果報は寝て待て 【読み】かほうはねてまて 【意味】努力してやるべき事をしたらあとは落ち着いて結果を待つのがよい。 【例文1】高校受験の合否は果報は寝て待て。 【例文2】採用の合否は果報は寝て待て。 「果報は寝て待て」という言葉の意味は、何もしないで寝ていれば良いことがやってくるということではなく、やるべきことはやって、良い時期が来るまで待てというような意味のようです。 確かに何事も最善を尽くすことは大事なことです。 しかし、さらに先のことを案じて、あれこれ考えすぎることは良くないのだと思います。 不安は先のことを考えすぎると、余計に大きくなってしまうものです。 日々、悔いの残らないように、一生懸命にやっていれば、いずれ好機がやってくると思って、ある意味楽観的に構えていたほうが良いのかもしれません。 好機も求めすぎると、それはそれで単なる欲になってしまいます。 欲が強すぎると人生に失敗してしまうかもしれません。 無欲でいることも人生を成功させるためには、時には必要なのかもしれません。 オリンピック選手でメダル獲得を目指して頑張っていても、思うような結果が残せないこともあります。 しかし、ベストを尽くした選手には笑顔があります。 逆にメダルが取れてもベストを尽くせないと、心からの満足感を得ることができないのかもしれません。 結果は大切なことですが、やはりその前にベストを尽くせたかどうかが重要なのではないかと思います。 果報は寝てまて、ということわざがあります。私は寝ていたら勝手にいいことがやってくるという意味と思い込んでいました。 とどのつまり、寝たきりでもいいことがやってくるみたいな甘い考えと思い込んでいました。 しかし、そもそも果報て何?と検索してして見て果報は寝てまての意味を私が勘違いしていたので恥ずかしいと思いました。 果報、この言葉は先に行われていたいい事の行動の答え、結果の報いという意味です。因みに悪い行動の答えは因果といいます。 つまり、果報は寝てまては寝ていたら勝手ににいい事がやってくるのでは無く、寝る前にいい事をしっかりして、それがすぐにいい事にならなくても寝ていたら果報としてやってくるという意味です。 最近、日頃の苦労の割に報われてないなぁと泣きを入れる事が多いです、しかし、自分の周りにはもっと苦労している人がいて自分は甘いなあとも思いながら日々を過ごしています。 そんな時は自分が頑張っているからいつか果報が来る、だからしっかり睡眠をとる、しっかり睡眠をとることでまたいい気分で日々を過ごして、いい気分で日々を過ごすといい行動もする、いい行動をしたら果報がいつか・・、この繰り返しが人生なのかなあと思いながら果報は寝て待てを考えでいます。

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一進一退

【漢字】一進一退 【読み】いっしんいったい 【意味】進んだり戻ったり、良くなったり悪くなったりする。 【例文1】業績が一進一退で不安定だ。 【例文2】病状が一進一退だ。 私はいろんな人の死にざまを見てきました。私の尊敬する人はガンで余命もいくらかもない状態でドクターもお手上げの状態でした。状態はだんだんと悪化していくばかりで、身体も衰弱していきました。もう、一進一退の状態に陥っていました。でもその人は、早く良くなりたい。この大病を克服して家に帰ると強い心で病気と戦っていました。そして、血圧も酸素濃度も脈もだんだんと下がって、傍目から見るとしに向かっていると思っていました。ドクターはもう、いつお亡くなりになってもおかしくないと私たちに言いました。やがて酸素マスクも装着して危篤状態となったわけです。肩で息をし始めました。もはや一進一退の状態です。しかし、彼はそれでも生きたいということを強く思っていました。ドクターは誉めてくれました。これだけの根性を持っておられるから、まだ息絶えないのですと。若い頃から根性は人一倍ありました。一進一退を繰り返しながらもまだまだ諦めない根性に心を打たれました。まだ死なない、死にたくないというのです。しかし、一進一退を繰り返したあと天に召されました。

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虻蜂取らず

【漢字】虻蜂取らず 【読み】あぶはちとらず 【意味】二つのものを得ようとして両方とも逃す。 【例文1】あれもこれも食べたいなと迷っているうちに売り切れになり虻蜂取らずだ。 【例文2】欲しいものは一つに絞らないと虻蜂取らず。 物事がうまく行かないときや頑張ってるのにあと一歩が届かないときは、欲張りすぎていないか確認する必要があります。たくさんのことを一度にやろうとすると、どれもこれもが中途半端になってしまいます。これを諺で虻蜂取らずと言います。例えば資格の勉強をしようとしたとき、語学の資格も取りたいし、IT系の資格も取りたいとなった場合、同時に始めてしまうとかえって覚えるのが遅くなってしまいます。どちらかひとつを犠牲にしておけば集中できて合格ラインに達することができるようになってきます。ひとつのことが達成できて初めて次のことにチャレンジできるようになります。他にも虻蜂取らずの経験があったのはピアノとギターを一緒に覚えようとしたときです。ピアノもギターも楽譜を読む所は同じでコードも覚えてしまえば同じだと思っていました。しかしギターはコードを押さえられるまで何度も練習しなければなりません。虻蜂取らずになっていると、なかなか前に進まず結局挫折してしまいました。ピアノでコードを押さえるのは簡単ですが、両手で演奏するとなるとこれまた大変なのです。慣れるまではひとつのことに専念しようと思いピアノは諦めました。ギターだけを集中的に覚えるようにしたら、半年ほどで弾けるようになりました。虻蜂取らずになっているとなかなか前に進みませんが、ひとつのことに専念すれば目標は達成します。 「虻蜂取らず」の意味は、二つの目標を追って両方を取り逃がす、または方針を決め切れずに迷っているうちに失敗してしまう、という意味なのだそうです。 特に使う機会もなく、使われた場面に遭遇することもなかったので、適当に自分で解釈してそれを正しいと思っていました。 私は長いことこのコトワザの意味を、虻か蜂か分らないならば手を出さない方が良い、つまり「取らず」の選択をする法がよいということだと思い込んでいました。 よくよく考えてみれば、虻だって不用意に手を出せば危ないのですから、そもそも最初の段階で間違っているのです。 間違っていることを知ったときには、それを信じられず方々のサイトなどを調べてみて回ったものです。 コトワザの由来は、蜘蛛が巣にかかった蜂と虻のどちらを捕らえようか迷っていたところ、決断が遅すぎて両方に逃げられたことによるそうです。 取るのが人間ではなく蜘蛛とは全く思いもよらず、実害はなかったにせよ長いこと勘違いを続けてしまっていたものです。 とりあえずこのことでは大恥をかくこともありませんでしたが、この分ではまだまだ沢山の勘違いをしていそうです。 いまから国語の勉強というのも何か意欲的に出来そうにありません。 60の手習いというくらいですから、それより若い分には勉強を始める志を立てるのに遅くないと思い込むことで何とか取り掛かりをつかみたい所です。

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