tedukurikotoba (2563)

鴨が葱を背負ってくる

【漢字】鴨が葱を背負ってくる 【読み】かもがねぎをしょってくる 【意味】鴨鍋などにはネギがよく合う。こちらは何もしなくても相手からのこのこやって来たと好都合な場面で使う。 【例文1】不良品を買い取ってくれてお客まで紹介してくれた。鴨が葱を背負ってくるとはこのことだ。 【例文2】お金さえ持ってると美女達が鴨が葱を背負ってくる。 神社に行くのは正月の初詣ぐらいでしたが、先月友達の付き合いで神社にお参りしにいきました。特にお祈りすることもなかったので、お金がたくさん入りますようにと願ったら、神社を出たときから、いろんなことが起きてきました。家に帰る途中、小学校時代の友人と久々に会ったときは偶然かなと思っていましたが、その次の週になると、数年ぶりに高校時代の同窓会の案内が郵送で来たりして昔の出会いが急に増えてきました。そこまでは別になんとも思わなかったのです。しかし、会社の人から盲導犬のグッズが入ったお菓子をもらったときはびっくりしました。以前コンビニで盲導犬の寄付をしたことがあって、約1年後ぐらいに回り回って自分の所に帰ってきた感じです。会社でも景気が良くなったという理由で臨時ボーナスが出たこともあり、まさに鴨が葱を背負ってくる状態でした。次々いろんなことが起きてきたので、たまに神社に行くようにすると不思議な体験をするものだなと思いました。神社に行ってご利益があるときというのは、切羽詰ってから行くよりも普段何気なく行くと、鴨が葱を背負ってくるのかもしれません。初詣しか行かない神社でしたがこれからは定期的に行こうと思います。

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一寸先は闇

【漢字】一寸先は闇 【読み】いっすんさきはやみ 【意味】この先はどうなるか予測できない。 【例文1】一寸先は闇だが老後の生活の計画は立てている。 【例文2】自営業は一寸先は闇だ。 日馬富士のモンゴル力士への暴行問題が刑事事件へと発展したことにより、日馬富士が引退の意向を表明していることが明らかになりました。 この事件が起こるまで人気の横綱として角界に君臨していた力士であるだけに酒席とはいえなぜそのような行為を行なったのか理解に苦しんでしまいます。 あれだけ活躍していた横綱が事件ひとつで引退に至るさまはまさに一寸先は闇といった展開で、衝撃が走りました。 またこの問題は単なる暴行事件として終わらせることはできず、一寸先からどこまでも闇が広がっているのではないかと勘ぐってしまいます。 相撲で横綱まで上り詰めるためには血のにじむような努力のたまものであることは誰にとっても明白で、そんな横綱を疑いたくないという気持ちもありますが、ニュースで報道されていることが事実だとするならば見逃すことはできない事態です。 教師による体罰や学校や職場でのハラスメントなど、見えないところでの暴力などが問題となって久しいですが、相撲界ではこのような問題に対してちゃんと向き合ってきたのかどうかも疑わしいところです。 すべてを伝統や風習で覆い隠すのではなく、時代に即して変化していくことも長い歴史を作るうえで重要なことだと感じています。

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甘い汁を吸う

【漢字】甘い汁を吸う 【読み】あまいしるをすう 【意味】他人を利用して楽して利益を得る。 【例文1】役員の立場を利用して甘い汁を吸う。 【例文2】コネ入社で甘い汁を吸う。 人が一生懸命働いているのに株やFXなどで楽して甘い汁を吸う人々がいますが、結果的に見ると大部分の人が負けて働かざるを得なくなっています。本当に甘い汁を吸うことができる人というのは、一部の人間だけのようにも思えます。勝ってる人達というのはどういう理由で勝ち続けているのかわかりませんが、運だけで長らく持ち続けていた人をたまに見かけます。株やFXはチャートを見ながらテクニカル分析を行ったり、トレンドの傾向を見たりしますが、勝っている人のブログやツイッターなどを見ると、そこまで細かく分析しているようには思えないのです。ただなんとなくやってたら、甘い汁を吸うことができてしまったという人が多いように感じます。短期間でたくさん稼いでしまうと金銭感覚が鈍ってくるので、普通に働くのが嫌になってきます。甘い汁を吸うことだけに生きがいを感じるようになっていくので、負けて無一文になった人を見ると憔悴しきっています。世の中というのは平等にできているようにも思えるので、本来働かなければいけない人が甘い汁を吸う状態になっていると、いつの日かしっぺ返しがくるんだと思いました。汗水流して一生懸命働いている人の方が人生謳歌できます。

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目を養う

【漢字】目を養う 【読み】めをやしなう 【意味】良し悪しを判断する力を付ける。 【例文1】人を見る目を養う事ができる。 【例文2】長い付き合いで目を養う。 見る目を養うことは、物事の品質を見極めるということです。 例えば、人を見る目を養うことは、その人の人間としての本質を見抜くことです。 例えば企業の人事部において人材を採用する場合は、大変神経を使うと言います。 面接や言い草などを見極めて、その人材が企業にとって本当に必要なものか、そうでないかを瞬時に見極める必要があります。 企業に採用されようとする学生や、転職組なども、自分をよくしようと思い、多少のハッタリをかけたりすることもあります。 そのハッタリや不誠実さといった、人間の本質をいかに見極めていくかが人事部にとっては重要なポイントとなります。 私も企業で働いていますが、なぜこのような人材が会社に採用されてしまっているのかと思うことが幾度となくあります。 例えば、やる気のない人材、会社の会議で居眠りをする人材、声だけ大きくて仕事をしない人材など、事例をあげれば数多くあります。 ただ一緒に仕事をしていて、このような人材ばかり集めてこれでよいのか、と呆れることもあります。 物事の本質を見極めることはなかなか難しいことですが、本質を見極めるのは練習で養うことができます。 常に本質は何か、軸が何かということを繰り返し考えていくことによって、その本質を見極めることができ、さらにシンプルな生活ができるかもしれません。 どんな分野でも、何をするにしても目を養うというのは必要なのかもしれないですね。 分かりやすくいうと、大工さんとか工芸品を作る職人さんとか、修行をするときに技を盗めって言われたりしますが、それって沢山見ろよってことですよね。 見るってことが大事なんですよね。最初から手や体を使って実践するっていうのもありなのかもしれないですが、目で見てインプットしてから体を動かすほうが早く習得できるというようなことを聞いたことがあります。 そして、職人や芸事の世界で世襲が多いのは小さい時から、そういった技を見てきた量が多いほうが技術の習得が早いし、小さい時に身につけておかないと大人になってから習得するのが難しい体使いや感覚があるってことでもあるんだと思います。 沢山みることによって、いろいろな違いが分かってくるし自分の好き嫌いなどの好みがよりくっきりわかってきますよね。 分かってくると、次にどんなことをしたらいいのかというのが見えて、道が開けてきますよね。 そしてこれから新しいことに挑戦して目を養おうとするのもいいですが、実は意識していなかったけどこれまでにもう沢山見てきたり経験してきて、そこそこ目が養われていることもあるんですよね。 それを、さらに磨きをかけるほうがよかったりするかもしれないですね。

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身を切られるよう

【漢字】身を切られるよう 【読み】みをきられるよう 【意味】とても身にしみる。 【例文1】独り身で病気になると身を切られる。 【例文2】独り身で老後は身を切られるようだ。 【例文3】 身を切られるようというのは精神的に辛いという思いを指す言葉で、身を切られるようなときが続くと心が折れる原因にもなります。就職活動で面接をしてしばらくすると不採用のお知らせがくることがありますが、そのとき身を切られるような気分になります。面接しているときは和やかに応対してくれるので、てっきり採用されるのかと思いきや、数日経ってもなかなか連絡が来ず忘れたころ手紙が来て、身を切られるように不採用を知ることがあります。一度面接落ちただけならまだいいですが、何度面接を受けても落選してしまうと、ほとほと面接するのが嫌になってきます。身を切られるように心をズタズタにされてしまうので、それがきっかけでうつになる人も出てきてしまいます。面接で採用されるときというのは連絡が早いです。いつまでも連絡が来ないときというのは、後回しにされているときなので、身を切られるようなことになるのを、予め覚悟していなければなりません。ハローワークで紹介されて面接で何度も落ちてしまう人は、一度派遣会社で相談をしてみると解決することがあります。身を切られるような状態にならないためには、履歴書や職務経歴書の見直し、自己分析をしっかり行うことで採用される率が高くなってきます。 5年前になりますが、リラクゼーションのサロンを経営していました。人は使わず、集客、営業、受付、施術を自分一人で全てをしていました。人を使うのは忙しくなってからでよい、その人の給料までは保証できないと思い一人でやっていました。 サロンを開業する前に私は、雇われてサロンの店長をやっていました。そこでもやはり、集客、受付、施術は1人でこなしていました。 そんな経験もあったので、これは開業するお金さえあれば人に遣われなくても自分でやれるのではないかと思い、開業しました。自分で経営する方が自分の好きなようにもできます。 その当時の経営者と方向性が合わず、私はその人たちに関わるのをやめて、母方の祖母が私に残してくれたお金の一部を母に頼んで使わせてもらい開業をしました。いくら私に残してくれたお金でも、思い通りにはすぐ使えず母や父を説得するのは大変でした。 まだ30代だった私は母に「私は結婚するあてもないし、結婚や出産にあまり興味もない、もうサロン一筋でやっていきたい」と言ってお金を使うことを許してもらいました。母は結婚資金に使ってほしかったようで私がそう言った時の顔は今でも忘れられないです。 そんな思いで開業したサロンでしたが、東北大震災の影響で客足が遠のいて、副業の時間の方が増えていきました。だんだんサロンを維持するために副業をしている生活に耐えられなくなり、私はサロンを閉める決意をしました。 一生これで食べていこうと思って始め、赤字になってもなんとかまた集客しようと思って副業生活を続けていました。開業から全て準備し、店名にはもじった私の名前も入っていて、サロンは私の一部で閉めるのは、本当に身を切られたような気持でした。 健康や美容は自分にも身近で最大のテーマであり、一生携われることにやりがいや生きがいを感じていたので、今はまだ別のことを生業にしていますがまたそのような仕事をしたいと思っています。

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