tedukurikotoba (2563)

身を焦がす

【漢字】身を焦がす 【読み】みをこがす 【意味】主に恋愛に使う。高まる感情を自分ではどうしようもなくなる。 【例文1】10代20代の頃は仕事に恋に身を焦がしていた。 【例文2】青春に身を焦がす。 若かりし頃、とても苦しくつらい経験をしました。それはまさに身を焦がすような体験でした。 もう今は音信不通というか、こちらからも連絡を取ろうとも思わないのですが、当時長い年月を共にした人がいました。きっとゆくゆくは結婚して、家族になるのだろうとお互いに思っているような相手でした。 ところが、一緒にいるうちに少しずつ、ふたりの気持ちにずれが生まれ、関係がだんだん歪んでいったのです。 といっても喧嘩ばかりだったというわけでもなく、仲は良かったので、気持ちのずれに気づけないまま過ごしていました。 つらいと感じ始めたのは、自分はもう結婚に向けて動きたいという気持ちなのに、相手がどうやらそうではないということがわかったときです。 そこから、表面上は仲が良くても、心に余裕がなくなり、先の見えない不安感を隠せなくなっていきました。そしてそれが相手に重くのしかかり、どんどん不穏な雰囲気に。ついに、会うこと自体を避けられるようになってしまったのです。 相手のことがこんなに好きなのにうまくいかない…。曲を作ったらいい歌詞ができそうと今ならネタにできますが、身を焦がすような恋愛にハマっていたあの頃は、本当に苦しかったです。

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裸一貫

【漢字】裸一貫 【読み】はだかいっかん 【意味】体一つ以外資金の何もない状態から築きあげる。 【例文1】脱サラして裸一貫で居酒屋をオープンした。 【例文2】父が裸一貫で築いた工務店を継ぐ。 いつからこんな考え方をしているのかは思い出せませんが、私が気が付いたら無欲な人間になっていました。子どもの時は「あれが欲しい!これも欲しい!」と常に考えていて、クリスマスプレゼントから年始のお年玉と連続して金品が手に入る年の瀬が大好きでした。そうして強欲な幼少期から思春期までを過ごした後、多分成人するときくらいには欲しかったあれこれを手に入れても大して感動もしなくなっていて、物やお金に対する執着が日々薄れていきました。無欲という言葉の響きはとても良いですが、実際になってみると私の場合のそれは無気力と似たもので、いつかはホームレスになってもいいかなという退廃的な考え方をするようになりました。仕事も何もかもを辞めて貯蓄を食いつぶし、そしてとうとうこの冬に裸一貫になりました。 一貫がどれくらいの価値あるものなのかはわかりませんが、果たして私の裸にはその一貫の価値があるのかしらと、冬に裸一貫というのは寒々しい感じもするが面白いなと他人事のように思いました。もちろん言葉そのままのように衣服もすべて持たず、家もなく本当に身一つというわけでもありませんが、現代では貯金がゼロになったというのも裸一貫に近いのではないかと思います。同年代の友人には呆れられ、一体何を目指しているのかと言われました。こうなってから今思うのは、ふつうの暮らしが一番良いのだろうという事です。普通に朝起きて、昼は働いて夜は帰宅して眠る。普通に人並みの暮らしを目指す、それが来年の私の目標です。無欲すぎても駄目になります。お金はせめて毎日たばこを買っても余裕があるくらいは稼ぎたいものです。 私は20代の頃、仕事や生活面など全て上手く行かず、悪い環境の時期があり辛い思いをしました。 そんな時、裸一貫でやり直したら徐々に道が開いていき、当時問題と感じていた事が改善され人生の立て直しに成功した経験があります。 この経験で身についた事は、目の前にある壁から逃げず正面から向かい合い一つずつ解決する大切さについてです。 生きていく上で様々な問題にぶつかりますが、そんな時大抵逃げて通りたくなるかと思います。私も若い頃は、嫌な事から逃げ対応を後回しにしていて、余計解決に時間がかかる体験をしました。 しかし、裸一貫人生のやり直しをしてからは、問題から逃げず向き合うようになったので、ゆっくりながらも解決しながら前に進めるようになりました。 こういった体験から逃げないで向き合うことの大切さを学び、子供にも考え方についてアドバイスしています。 特に若い頃は、簡単や楽な方に流れがちになるので、適切なアドバイスや助言をしてあげることは大切だと思います。 私自身あまり助言を受けられない環境で育ったので、子供には可能な限りアドバイスを色々してあげたいと思っています。 ただ、強要や押し付け的な助言はマイナスになるため、その辺を注意しながら子供に伝えるようにしています。 何も見に付けず成功への道に踏み出そうとする心意気を「裸一貫」と称します。本当裸になる訳ではなく、飽くまでも無一文から始める人に向けた言葉であります。「裸一貫から立ち上げた会社」や「裸一貫怖いモノ無し」など先立つものがない中で何かに挑む時は、勢いだけで突き進むしか手はなく、後は成功するまでやり切るしかないという覚悟の表れでもあります。どこか潔さを感じられ、そんな人が端にいれば心の何処かに応援したい感情がつい湧いてしまいます。何かのセリフに「金はないが夢はある」というのを聞いた事がありますが、まさにそういう人こそ裸一貫で何かを成し遂げられる人だと思います。聞き様によってはその人を少し揶揄している様にも思えますが、その人の持つ「やってやろう」という気合が見縊りそうになる気持ちを打ち消してくれるのです。そういう人の湧き立つようなやる気は周りにいる人を感化し、その輪が広がればその人は最早裸一貫ではなくなり、大きな成果を生み出した成功者へと様変わりしているのです。誰もが情熱だけで成功する訳ではありませんし、やはりそこには冷静に状況を見極める目を自身が持つか、信用出来る人の中にそういうい人がいなければなりません。熱い気持ちと冷静な判断力が合ってこそ、裸一貫でも成功出来る要因だと思います。

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知らぬが仏

【漢字】知らぬが仏 【読み】しらぬがほとけ 【意味】腹が立つ事も知らないままでいれば平常心でいられる。また本人だけが知らない様子をあざ笑う様子。 【例文1】知らぬが仏で言わない方がいい時だってある。 【例文2】知らぬが仏のままがよかった。 「知らぬが仏」とは、知ってしまうと腹が立ち苛立ったり悩んだりしてしまうようなことも知らなければ何も思う事はなく平常でいられることのたとえとされています。他にも本人だけが本当のことを何も知らないで平気な顔をしている人のことを嘲っている際にも使われます。 使い方として「知らぬが仏と言うからこのことは知らせないようにしよう」「知らぬが仏というから浮気はバレなければいいと彼は言っていた」などと言った使い方をします。 私は以前、友人のカレが浮気しているのを見て友人に知らせると傷付くかもしれないから知らぬが仏だろうと思い友人には言わずにいました。しかし結果的に浮気がバレてしまい、その時に友人に言わなかったことがきっかけで友人とギクシャクしてしまった時期がありました。友人の事を考えての行動でしたが、それが悪循環となってしまい後悔しました。知らぬが仏とは言いいますが言うべきことは言う必要もあるのだと改めて思いました。 世の中には知っておくことと共に知らない方がいいこともあります。しかし、何も知らないことをいいことにと皮肉とする意味合いもありますので、本人に対して言ってしまうと失礼に当たることもありますので注意しましょう。 親友の話です。 親友にはとても仲良しの彼氏がいます。 もう何年かお付き合いしていて、遠距離恋愛も乗り越えた絆の深いカップルです。 とてもお似合いだし、きっと二人は選ばれし運命の二人なんだと思っていました。 あの話を聞くまでは。 知らぬが仏とよく言いますが、まさに知らない方が幸せなことってあるんですね。 先日、親友に久しぶりに呼び出されました。 定期的に食事をする日以外の呼び出しはなにかよからぬことがあったしるしです。 彼女の話はこうでした。 親友へのクリスマスプレゼントがヤフオクで買った中古だった、と言うのです。 更に話は続きます。彼女がクリスマスプレゼントをもらった時、彼は「俺も同じものではないけど似てるやつを買ったんだ、おソロだよ」と言って、一つを親友に、もう一つを自分用に買っていたのですが、自分用のものは正規店で購入した新作品だったのです。 親友は自分のプレゼントをヤフオクで買われていたことよりも自分のものと差別していたことと、嘘が上手かったことにとてもショックを受けていました。 でもそれ以外はとてもいい人なんだよ、と言っていて見ているこちらが辛くなるような切ない笑顔で笑いました。 もっといい人と早く出会って幸せになれますように!

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可もなく不可もなし

【漢字】可もなく不可もなし 【読み】かもなくふかもなし 【意味】特に良いわけでもなく悪くもない。普通である。 【例文1】このイベント企画は可もなく不可もなし。 【例文2】可もなく不可もない夫。 特に秀でている訳でもなく、だからと言って落第点でもないどっち付かずな状態を「可もなく不可もなし」と言います。「彼女に作るカレーは可もなく不可もなしの味だった」や「あいつの仕事は可もなく不可もなしの出来だ」など、諸手を上げて褒められない事です。出来が中途半端ではそれを評価する側も表現に困りますし、むしろ良い所を見つけて褒めたいのだけれど、そうも行かない結果がそこにあるのです。場合によっては主張がない方が都合が良いものもありはします。カレーに付け合わせる福神漬け等は、まさに可もなく不可もなし位で丁度良い一品であります。下手に旨過ぎればメインのカレーとのバランスが取れなくなりますし、程良く箸休めに食す事で付け合わせとしての、本来の役割が果たされるのだと思います。逆にメインのカレーが「可もなく不可もなし」なのは、本当に避けたい所です。全く駄目なら一から築き上げて行く道もありますが、どっちでもないとなればより良くする為の方向性を見つけるのが、かなり難しい作業になると思われます。今こうして作成する文章も、在り来たりの言葉を只並べるだけでは、誰の目にも止まる事無くどこかに埋もれて行くだけになるやもしれません。何か光る所が求められる場合は、可もなく不可もなしではあってはならないのです。 先日、仕事関係の方から「ちょっと会ってほしい人がいる」と言われました。 「なんだ、また紹介か?」 「新手の合コンの誘いか?」 「まあ、いずれにしても久しぶりだな」 などと思っていたところ、まあ、紹介は紹介でも、違う紹介でした。 わたしは職場で年配の方で、年齢的にも普段から女性社員から相談事を持ち込まれたり、アドバイスを求められたりする機会が多く、内容は仕事のことからプライベートなことまで多岐にわたります。 その時の「紹介」は隣の部署の若い女の子からのお誘いで、「やっといい感じな人ができたけど不安だから、彼がどうか会ってみて欲しい」とのことでした。 知るかよ・・・。 しかし、頼られると弱いのはわたしの悪い癖。 何より、長いこと恋愛をしていなかった子だったので、嬉しい気持ちもあり引き受けることにしました。 そして当日。若い子が好きそうなテラス席のあるダイニングレストランでした。 こんな照明じゃ顔もわかんねーよ!と思いつつご対面。 「うーん、可もなく不可もなし!」 見た目は至って普通。 お話をしても「うーんやっぱり可もなく不可もなし!」 明日意見を求められたらなんて言おう・・・ こういう時どう返事をするのが正解なんでしょうか。 結局「友人として少しお付き合いしてみたら?」と逃げました。

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興に乗る

【漢字】興に乗る 【読み】きょうにのる 【意味】おもしろさ、楽しさを感じる。 【例文1】興に乗って得意の歌を披露する。 【例文2】地元の同窓会は興に乗る。 楽しくなりすぎて普段ならやらないようなことをやってしまった、という経験がある人もいるのではないでしょうか。例を挙げると、お酒を飲んでいたら気分が良くなってきてしまったから、普段は絶対に人前で歌わないのについ歌ってしまった、といったことです。冷静になったときに思い出すと、恥ずかしすぎて穴があったら入りたくなるかもしれませんね。 つい興に乗るようなことがあるのも、ときには必要だと考えられます。たまには気分を解放させないと、ストレスが溜まってしまって窮屈になってしまう場合だってあるでしょう。ですが羽目を外しすぎてしまって、周りに迷惑をかけたり、たとえ迷惑をかけずとも恥ずかしいことをしてしまったら、元も子もありません。いくら「あの日は酔っていて」などと言い分を述べても過去は消えませんし、むしろお酒でたがが外れた姿というのはその人本来の姿とも言えます。ですから普段のときとお酒に酔っているときとで大きなギャップがあれば、おそらく周りの人はあなたのことを忘れられなくなるでしょう。 興に乗るのも気持ちが良いですし、無理に止めることでもないとは思います。難しいですが何事も適度が一番ではないでしょうか。興に乗るのも、乗りすぎないことが大事かもしれません。

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