tedukurikotoba (2563)

京の着倒れ、大阪の食い倒れ

【漢字】京の着倒れ、大阪の食い倒れ 【読み】きょうのきだおれ、おおさかのくいだおれ 【意味】京都の人は衣服に大阪の人は食にお金をかけて楽しむ人が多いと言われている。 【例文1】京の着倒れ、大阪の食い倒れと言うから大阪着いたら食べまくるぞ~。 【例文2】京の着倒れ、大阪の食い倒れで着物美人が多い。 実際はっきりとした意味がわかりにくいこの言葉「京の着倒れ、大阪の食い倒れ」の意味ですが、京都の人はおしゃれ、という意味なのか着るものにお金をかけるという意味なのか、調査によると京都の人が洋服にかけるお金は全国ベスト10にも入っていないそうです。言われているのはおそらく着物に関してだろうという事で、いざという時に着物を着る人が多いのが京都なんだとか。確かに京都の街並みに着物やベストマッチだし、観光客もレンタル着物で街を歩く人が年々増えているくらいです。一説には一つの着物や洋服を着倒す、大事に着まわすという意味から来ているとも言われているんだそう。では大阪の食い倒れは?漢字ではなくひらがなの「くいだおれ」とあの有名な人形「くいだおれ太郎」を思い出してしまいます。京都の着倒れはピンと来なくても、大阪の食い倒れは、的を得ていると思います。仕事柄日本国内のあちこちに行きますが、やはり大阪の人は美味しい食べ物を食べるのが大好きだし、美味しい物の為にはお金もかければ労力もかける、せっかちな人が多いのに美味しい物の為の行列なら大丈夫という人が多いように思います。ちなみに、神戸は履き倒れ、江戸は飲み倒れなんだそう。故事ことわざは本当に面白いですね。

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痒い所に手が届く

【漢字】痒い所に手が届く 【読み】かゆいところにてがとどく 【意味】細かい所まで注意してよく見る。 【例文1】彼女は痒い所にも手が届くのできっといい奥さんになれるよ。 【例文2】痒い所に手が届く彼女が欲しい。 何気ない普段の会話の中で発した「これ可愛い!」「これ欲しい!」を覚えてくれていて、クリスマスや誕生日、記念日にはきちんと買ってプレゼントしてくれます。 好きなお店の新作スイーツが出たらお土産で買ってきてくれます。 我が家の愛用の洗剤が少なくなっていたら、買い物に行った時に買ってきてくれて補充してくれています。 好んで飲むお酒が特売だったら買ってきてくれます。 ゴミが溜まってきたらまとめて出してくれます。 お米が少なくなってきたら、予約を入れてくれます。 好きな芸能人のイベント情報を教えてくれて、一緒に並んでくれます。 買い物に行った時、荷物をすすんで持ってくれます。 見たい番組を録画してくれています。 綺麗な紅葉、イルミネーション、絶景に付き合ってくれます。 いつものお店で飲みすぎてしまうと、迎えに来てくれます。 そんな痒い所に手が届く彼氏なら欲しい!と思います。 オトコは顔じゃないんです。汚くなければいいんです。顔なんて! 気が利くオトコが一番なんです。 おしゃれじゃなくてもいいし、細マッチョじゃなくてもいいんです。 おっさんでもいいんです。 とにかく気が利けばいいんです。 気が利けばモテます!オトコ!がんばれ!

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一世一代

【漢字】一世一代 【読み】いっせいちだい 【意味】一生のうちで一度あるかないかくらいの見事な出来映え。 【例文1】一世一代の見事な新郎スピーチだったよ。 【例文2】一世一代で家を建てる。 いわゆる結婚適齢期をとっくに過ぎた頃に知り合った我が夫。結婚願望は全くなかったとはいえ、生涯一人で生きていくつもりもないし、子どもを育てて暮らすのもいいな、とは思っていましたが、相手を決めきれずにズルズルと時が過ぎ気が付けばアラフォーになっていたのです。夫が登場したタイミングは素晴らしく、ちょうど長年続けていた仕事も潮時だと感じていたので、夫との結婚話はある意味、逃げ場所になるなと思ったものでした。ただ一つ大きな問題があったのは、夫がまだ離婚が成立していなかったという点。別居はしていたものの、相手がなかなか離婚に応じなかったのです。こんなややこしい人と結婚しても、元妻との確執やら、子どもの存在やらでややこしくなることは目に見えていたので私の家族は大反対でした。結局無事に離婚は成立したものの、同じ時期に私が過去一番結婚したいと願っていて振られた人から復縁の申し出がありました。夫と知り合う前なら二つ返事で復縁したのでしょうが、そういうわけにもいかず、結局私は自分の直感を頼りに、一世一代の大勝負に出たのです。ややこしい方との結婚、案の定というくらい、元妻や子どもの事で揉めまくりましたが、私と夫との間にも無事子どもが生まれ、今は家族三人平和に暮らしています。大勝負に出て良かったな、そんな気持ちです。 後にも先にも誰にも真似の出来ない事を、やってのける大胆な行動を良くも悪くも評して言うのが「一世一代」であります。「一世一代の大勝負」や「一世一代の大博打」など、その大胆不敵さに敬意を表し、そう言ってしまいます。この表現は自分で言う時もあり、時に人から言われる事もあって常にどちらか一方が発言するとは限りません。揶揄の意味で「一世一代の大バカ者」と評される人もいれば、「一世一代の晴れ舞台」という羨望の視線を浴びる人にも使用するのですから、多様な仕用が可能な言葉なのです。身内はおろか何処にもそんな人或いは仕出かすヤツがいない時こそ、そう表現するのです。そんな事をするのはとんでもない天才か大馬鹿かと、常識では測れない奇抜な行為をやってのける人にこそふさわしい称号と言ってい良いかもしれません。常識の枠内で生活する者では、到底出来ない事をするのは難しいですし、何より凡人はどうしても成功より失敗のリスクを先に考えてしまいがちです。後の事は後で考えれば良いというのが一世一代な人であり、一昔前にいた「宵越しの金は持って帰らない」と言う人の中に、一世一代な事を可能にする逸材がいると思います。評価が分かれる所業もあったりしますが、人生は一度きりです。誰にも真似の出来ない仕事をして「一世一代の〇〇」と呼ばれるのも悪くはないかもしれません。

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天の邪鬼

【漢字】天の邪鬼 【読み】あまのじゃく 【意味】人に逆らうような言動を取る者。 【例文1】彼は天の邪鬼なので、わざと反対のことを言ってやった。 【例文2】天の邪鬼の性格が損をする。 私は子どもの頃から素直じゃない天の邪鬼のような性格でした。 そんなですから、損もたくさんしてきました。 小学生の時は、クラスで流行ったアイドルグッズも持ってきたクラスメイトに見る?と聞かれ心の中で嬉しく思っていたのですが、親に買ってもらえず、悔しかったわたしはその子に向かって不要なものは学校に持ってきてはいけないんだよと言い放ちました。どうしてもその気持ちを素直に出す事が出来ず、反感を買ってしまったのです。 その言葉で私は、クラスで孤立してしまいました。 成人してからというもの社会のルールもわかってはいますが、なんとなく素直に従えない私はまたも職場で孤立してしまいます。 そんな時、気になる子から告白されました。天にも昇る気持ちでしたが、そっけない態度をとってしまい、好かれていないみたいだと思われたらしく、避けられるようになりました。 せっかくのチャンスを棒にふるいました。さすがに自分の性格がいやになり、変わらなければという思いでいっぱいです。 ひねくれものを「天の邪鬼」というけれど、出典がよくわからない。 私が知っている天の邪鬼は、『瓜子姫』という昔話に出てくる物真似上手だ。これが猟奇的な話だった。 瓜子姫は瓜から生まれた女の子で、手に障害がある。 嫁入りの日を控えて、瓜子姫は一人で機織りをしていた。天の邪鬼がやってきて、姫を木に吊るしてしまう。 天の邪鬼は、瓜子姫から剥いだ着物をかぶり、機織りをする。 帰ってきた養い親が、機織り小屋にこもった瓜子姫と話をするが、様子がおかしい。天の邪鬼はうまく瓜子姫の物真似をしているけれど、家族にしかわからない違和感がある。 「瓜子姫や、手を扉から出してくれ」と家族が頼むので、天の邪鬼は自分の手を傷つけ、瓜子姫になりすまし続けた。 輿入れの日、木に吊るされた瓜子姫が花嫁行列に見つけられて、天の邪鬼は逃げ出した。 就学前のこどもが読むので、幾分やさしい表現にされている。それでも、天の邪鬼が自分の手指を切るというくだりは、幼心に衝撃を与えた。 バリエーションでは、瓜子姫から剥いだのが、着物ではなく皮というものがある。瓜子姫の死体は食べてしまったり、天の邪鬼が殺される結末もある。 日本では屈指の陰惨な昔話だと思う。あまり有名でないのは、もっともかもしれない。

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面と向かって

【漢字】面と向かって 【読み】めんとむかって 【意味】お互いに顔を合わせて。相手と向き合う。 【例文1】初デートで面と向かって食事するのは恥ずかしい。 【例文2】面と向かって語り合う。 人と言うのは人と面と向かっていると、自分の本心をなかなか話さないものです。 面と向かって本心を言う事で、人間関係に波風が立つ事を恐れているのです。 所が人と面と向かっていないと、人は本性をさらけ出す事になります。 あなたのそばにもいるかもしれませんが、その場にいない人の悪口を次から次へと言う人がいます。 その人の前では大人しくしているのに、その人がいない所では、声を大にして悪口をこれでもかと語り出すのです。 言っている方は気持ちがいいかもしれませんが、聞かされる方は良い気分などしないものです。 これがネット上だと、さらにひどくなります。 ネット上だと、自分の身元を明かさずに好きな事を言う事が出来ます。 ですから人と面と向かっている以上に、好き放題言う事ができるのです。 ブログや掲示板を見ていると、芸能人などの著名人の事を好き勝手書いているのを見かけます。 中には目を覆いたくなるような、悪口雑言だらけの文章も見かけます。 自分の身元が特定されないからと思い、安心して人の悪口を言っているのです。 若しこんな文章を書いている人が、本人と面と向かっていたとしたら、絶対にこんな事は言わないはずです。 ネットは人の本性の巣窟であり、人と言うのは人と面と向かっていないと、これほどまでに醜くなるものかと、まざまざと思い知らされます。 仕事をしていると同僚との様々な関係があります。どこの会社でもそうですが、やるべき仕事は決まっていてそれをいかに上手く早くこなすか等、その人によって仕事スキルは異なるので、やり方も異なって来るでしょう。やり方がことなったとしても結果を出すための過程の中では様々な他人との課題に悩まされることもあります。仕事で悩みに当たったときに同僚であれば面と向かってその悩みを打ち明けることが出来るかもしれません。少しのことでも同僚であればきちんと話を聞いてくれると心のどこかに安心感があるからかもしれません。けれども、大きな課題があり自分だけでは解決できなくなったときに、ベテランの先輩であったり上司に相談することも必要です。その仕事上解決しないといけない内容について自分の意見が通るのか、なかなか上司には面と向かって言いにくかったりします。また、いまはゆとり世代と言われる社会人も多く他人とのコミュニケーションが苦手な人も多くいます。コミュニケーションが苦手な人が面と向かって誰かに相談しながらまた協力しながら仕事を続けていくのはかなりの労力が必要です。誰とでも上手くコミュニケーションがとれて円滑に仕事を進めていくためにも、日々の自分からの挨拶や笑顔を大切にしていくことが必要です。 かなり温厚な性格の我が夫が良く言う言葉に「面と向かって言えない事は全て悪口になる」というのがあります。私が、というよりも普通の女性ならばある程度は噂ばなしなどが好きだと思うのですが、私が夫に「お隣の奥さんってさあ、最近すごい太ったよねえ」とでもいおうものなら、すぐに「それ、面と向かって言える?言えなかったら悪口になるから、言うのをやめて」と言われてしまいます。小学2年生の息子が「今日学校でね、誰々がすごい変な服を着てきたんだよ」というのを聞いて、私なら「へえーどんな服?派手だったの?」などと会話が続くのですが、夫だと「変な服とかいうのは悪口だよ、やめなさい」となるわけです。そういわれてみると、夫は滅多な事で他人の話をしない人で、したとしても事実や出来事のみで、感想的な事もあまり言いません。別に無感情とか口数が少ないというわけではなく、普通に明るい人なのですが、その部分はかなり徹底しているので、一度聞いてみたら、亡くなったお義父さんが良く言っていたんだそう。きっちり受け継がれているのを知って感動してしまいました。確かに私はすぐに人の容姿や行動をネタにする事が多いので、改めないといけないなと気にするようにしています。

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