tedukurikotoba (2563)

網を張る

【漢字】網を張る 【読み】あみをはる 【意味】犯人を捕まえるために仕掛ける。ターゲットを待ち構える。 【例文1】容疑者の帰宅時間に合わせて自宅前で網を張る。 【例文2】マスコミが網を張る。 何かの事で考えを巡らせ、そこに行きつくと信じ先回りして待つ事を「網を張る」と言います。「地元の暴走族がこのルートを通ると予測し網を張る」や「犯人がやって来そうな場所に網を張る」と言う具合に、待ち構える様をそう表現しているのです。元々は海の漁師さんが魚の収穫で網漁をする際、闇雲に網を張るのではなく魚がいる或いは回遊するであろうポイントを予想し、ターゲットを絞り網を張って待つ訳です。只信じているのではなく、長年培った経験をもとにポイントを割り出して網を張るのですから、ヒットする確率はかなり高いと思います。所せん、長年のデータの蓄積によって、勘が構築されそうさせるのです。どの分野でもデータをもとにターゲットの行動パターンを割り出し、次に相手がどういう行動をするかが判れば後はやって来るであろう場所で待つのみです。テストの問題予測でもそういう言い方をする事がありますが、出題範囲がこの辺からであろうと予測し、そこを集中的に学習するやり方です。見方によっては「山勘」とも言えますが、どちらも確固たる裏付けがなければ成果を上げる事は出来ません。あらゆる方面に目配せをし、こうなるであろうと先読みをして待つ。ただの山勘では望み通りの結果を齎す事など出来ないのです。

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面目次第もない

【漢字】面目次第もない 【読み】めんもくしだいもない 【意味】恥ずかしくて人に合わせる事ができない。 【例文1】結婚詐欺に遭い、会社に行くのも面目次第もない。 【例文2】昨日は酔っ払って面目次第もない。 面目次第もない、という言葉の意味は、申し訳が立たず顔向けできない、ということを言います。 よく、面目ないという言葉は多用されますが、同じ意味です。 この言葉は、謝罪の際に使われることが多いです。 例えば、「期待されていたが、結果が出ずに面目次第もない」とか、「このような事態を起こし、面目次第もない」といったネガティブな表現です。 スポーツ選手でも、例えば大事なオリンピックの試合で、メダルを期待されながら、メダルを獲得できなかった場合には選手の口から思わず発せられる言葉です。 結果が出ないのは、やはり何かが足りなかったことです。 確かに選手として、練習は入念にやっていた場合でも、試合で結果が出ないのは、その試合でのプレッシャーに打ち勝つ気持ちが足りなかったかもしれませんし、相手との駆け引きに負けてしまうこともあるでしょう。 結果が出るということは、あらゆるシナリオ、シーンを想定していて、それぞれに対して準備ができているからこそなのです。 たまに、言い訳のようなことをいう選手もいますが、やはり結果が出ないのは、その選手個人にあるのです。 来年は平昌オリンピックが開催されます。 日本の選手が活躍することを願うばかりです。 自分にとって大事な相手に迷惑を掛けてしまった時、申し訳なさから出てしまう気持ちを言葉で表すのが「面目次第もない」です。懇意にしている取引先に思わぬ損失を与えてしまった時などは、会社のトップ自らが出向いて謝罪を行う場面で「本当に面目次第もない」と切り出す事も多く見られます。面目は顔の事であり、要は「合わせる顔がない」という事の謙譲語とも言えます。武家社会でこの発言をする程の失態を犯していれば、即座に切腹でもしなければならない位の大事をやらかしたという事です。現代社会で腹を切る謝罪はやらないにせよ、それ相応の償いは覚悟して臨まねば容易に容赦はして貰えない筈です。身内の恥で身近な友人知人に幾許かの迷惑を被らせた時にも、ある程度歳の行った方はそう言う理を述べられると思います。若い世代が使用すると少し軽くなりますし、年輪を経た人の「面目次第もない」という言葉はそれだけで重厚感があり謝罪に箔が付くのです。そういう謝罪をする方も予期せぬ出来事であると相手に理解を求めねばならず、誠心誠意伝える努力をする必要があるのです。その為に「面目次第もない」という言葉を使用するのはとても賢明であり、平謝りする相手がそう言い出せば許さない訳に行かないと思わせてくれる言葉であります。

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身を粉にする

【漢字】身を粉にする 【読み】みをこにする 【意味】非常に苦労して働く。 【例文】睡眠時間も惜しんで身を粉にして働いているが、一向に暮らしがよくならない。 【例文】経営難で身を粉にする。 現在ますます世界はグローバル化し、外国語を真剣に学習する人が増えてきています。あらゆる外国語学習の中で一番の人気は、言うまでもなく英語だと思います。多くの人は義務教育で英語に触れる機会があったと思いますが、英語に関して苦手意識を持っている方も多いと思います。潜在的に英語に対してアレルギーを感じてしまう人が多いと思いますが、世界的にみれば、実は英語より日本語の方が難しいとされている言語だそうです。 日本語にはよく間違いやすい言葉が多く存在しています。例えば、「水を得た魚」という言葉があります。たぶん一般的に(みずをえたさかな)と読んでしまう方が多いと思いますが、実際の読み方は(みずをえたうお)と読みます。このように日本語には間違いやすい言葉が存在します。 間違いやすい日本語の例として「水を得た魚」以外にも「身を粉にする」という言葉もあります。「身を粉にする」という慣用句は非常に苦労して働くという意味で、身体が粉々に細かく砕くようにしてまで働くという比喩です。読み方は(みをこにする)と読みますが、(みをこなにする)と読んでしまうことが多い慣用句の一つとして有名です。 日本語には読み間違いやすい、もしく誤用しやすいのが多いことを考えると日本語は英語以上に難しいとされている理由が少し分かる気がします。

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畑違い

【漢字】畑違い 【読み】はたけちがい 【意味】専門の分野が違うこと。 【例文1】ここの医院は外科専門で内科は畑違いです。 【例文2】畑違いの職に就く。 それまで特にやった事がなく、予備知識もない分野に取り組む場合の評価を「畑違い」と称します。「バスケット選手が野球選手になろうだなんて、畑違いも良い所だ」や「理数系の自分には、歴史の事は畑違いで管轄外」となります。畑違いと言う位で、元々は栽培する野菜の品種によって育て方が違うから、農家さんでも取り扱わない野菜の栽培法を知らない場合もあって然るべきですし、そこから派生し職種や競技が似ていてもやった事のない事はわらないし、それをなぞって「畑違い」という様になったと思われます。端から見て、博学な人だからどの分野にも精通しているとつい思ってしまいがちになりますが、幾ら物知りであっても触れた事のない分野は知らない筈ですし、先入観で訪ねても判らないと返答されるのが当然かもしれません。携わっていない知識なのですから、知っている訳がないのです。スポーツの世界ではスピードスケートと競輪の2種目を選手としてこなされた方もおられ話題になりましたが、そんな方でさえ全ての競技を網羅されてはいませんし、自分の興味が向いている事だけに特化していたに過ぎません。学問でも理系と文系に分かれるとよく言いますが、どちらかに特化した人に逆の質問(文系の人に関数の事の様な)をしても思い通りの答えは返って来るとは思えないのです。「餅は餅屋」と言いますし、質問されたり任されたりする側もきっと困惑するばかりでしょう。

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白羽の矢が立つ

【漢字】白羽の矢が立つ 【読み】しらはのやがたつ 【意味】大勢の中から犠牲者として選ばれること。現在は名誉ある表現にも使われるようになった。 【例文1】専業主婦の私に白羽の矢が立つ。町内会の役員を押しつけられたのだ。 【例文2】1万人のオーディションから白羽の矢が立つ。 こどものころ読んだ昔話です。 ある村では、年頃の娘を毎年一人、神様に供えなければならなかった。人身御供に選ばれた娘の家の戸には、白羽の矢が立ったという話です。 これにはバリエーションが多くあります。人身御供を選ぶのが、神の使いだったり、村の寄合だったりしますし、神様も龍神や山の神など、分岐は無尽です。神だと思っていたのが、実は大猿だったので、供えられた娘や通りがかりの旅人が知恵を尽くして退治する顛末もあります。 庄屋が自分の娘を選ばれるのを怖れて、身寄りのない貧しい娘の家に矢を刺した、というものが一番好きです。娘の境遇を憐れみ、庄屋をはじめ、村人たちの所業に激怒する神は、天罰を下すのです。 昔話では、こうした勧善懲悪が往々にして見られます。弱者は善良であっても、汲々として生きていくしかない理不尽な世の中で、こうした胸が空く結末を求めました。現実にはありえないからこそ、空想の世界では自由に悪者をこらしめ、来ないであろう正義のヒーローを心のどこかで待っていたのです。 物語は、人々に生きる力を与えていました。書物だけでなく、漫画やアニメ、ゲームなどエンターテイメントの世界に、あまねく物語の力は息づいています。

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