tedukurikotoba (2563)

画竜点睛を欠く

【漢字】画竜点睛を欠く 【読み】がりょうてんせいをかく 【意味】一番大事な所が欠けていること。 【例文1】よく書けている文章だが、タイトルの漢字を間違うとは画竜点睛を欠くだな。 【例文2】練習ではうまくいき本番で噛んで画竜点睛を欠く。 「画竜点睛を欠く」ことって、注意深かったり自分自身がしっかりしてれば、よほどのことがない限り基本的にはありえない事だと思います。 でも、心掛けとしては例えば「画竜点睛を欠く」ような人生にはしたくないですね。 まだまだ先の事なのかは分かりませんが、周りに人に迷惑をかけずに助け合いながら楽しくやっていくのが理想です。 そうした他人との良い関わりを大事にしてれば、少なくとも画竜点睛を欠くような最も肝心なところが抜けてることもないはずだからです。 自分は小説が好きなのでよく読む方なのですが、最後のしめの部分が面白いかどうか?がその本に対する好感度や価値を決めます。 なので、そのことわざの正反対の事を書くことが重要といえます。 そうすることが小説い以外の事でもせっかくの努力を無駄にしない方法なので例え、画竜点睛を欠くが批判的なことわざだったとしても反面教師みたいな言葉として活かしたいと思います。 ただ、このことわざを天然系のキャラの芸能人に当てはめると楽しい面もあります。 それは視聴者が予想もしてなかったような肝心なところが抜けたボケなどによって楽しませてくれるようなときです。 そういう世の中を明るくしてくれるような人達は良いので、もっと増えてくれたらいいです。

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一線を画す

【漢字】一線を画す 【読み】いっせんをかくす 【意味】境界線をはっきりさせる。 【例文1】料理は盛り付けまでこだわるのがプロと主婦の一線を画す。 【例文2】隣家との一線を画す。 テレビに出演するアスリートを見ていると、他の選手とは一線を画すような才能の持ち主が現れたりしますよね。とても同じ人間とは思えないような動きを見せられて、思わず感動してしまった人も居ることでしょう。そしてそういったアスリートを見て『天才』だと感じてしまう人も、少なからず居ると思います。 けれど本当に『天才』なのでしょうか。確かにアスリートのインタビューを見ていると「本当は学生のうちにこの競技を辞めたかった」と告白する人もいます。そこだけ見てしまうと「やりたくなかったのにそれでも上位に入れるのだから天才だ」と思えてしまうかもしれません。しかしどんな一流アスリートであれ、その裏にはやはり『努力』が付きもののように見えます。いくらそのアスリートが「やりたくなかった」と言っていても、その競技の練習をやっているものです。 もちろん、努力すれば必ず天才になれるというわけではありません。ですがどんなに『天才』と謳われる人であれ、多かれ少なかれ『努力』を続けているのではないでしょうか。元々の向き不向きはあるかもしれませんが、まずは努力してみれば何か変わるかもしれません。ひょっとすると今では『天才』と称される人だって、努力の末に『天才』という肩書きがついた可能性だって、無きにしも非ずではないでしょうか。 一線を画すとは、違いがはっきりしているとか、しっかりと区別するといった意味を持つ言葉です。よく、プロとアマは一線を画すなどというように使われます。違いがわかるというのはそれだけで、人として品位が高いように感じられます。特に、グルメに関して、一線を画すとという言葉を自然と使えるような舌を持っている人は、一目置かれるのではないでしょうか。 料理人にしてみれば、出汁の効かせ方や素材選びなどへのこだわりを見抜き、一線を画すと評価されるのは嬉しいことに違いありません。美味しければ何でもよしと言ってしまえばおしまいです。微妙な違いであっても、はっきりとわかるようになりたいものです。 私の場合は、お酒をあまり飲めないので、例えばいいお酒と安価なお酒の違いがよくわかりません。ときどきテレビ番組で、ラベルを隠したワインを飲み比べ、高級なものとスーパーで安売りしているものがどちらか当てるという企画がありますが、あんなのは当たる気が全くしません。それをいとも簡単に当ててしまう人、全然違うと言えてしまう人には憧れます。 お酒に関しては、この先も一線を画すと言い張れる自信はありませんが、いいもの、本当に美味しいものを自分で選び取れる感性を養いたいものです。

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雨降って地固まる

【漢字】雨降って地固まる 【読み】あめふってじかたまる 【意味】雨が降った後は地面がしっかり固まるもので、争い事の後は、かえって良い結果や安定した状態になること。 【例文1】彼女と大ゲンカしたけど、言いたいことをハッキリ言い合えてより愛情が深まった。雨降って地固まるだ。 【例文2】嫁姑問題が雨降って地固まるで解決。 物事が良い方向へ変化していく前は、揉め事が多くなるような気がします。 「雨降って地固まる」ということがわかっていても、やはりできるだけ揉め事はない方が良いと思ってしまいます。 しかし、雨が降らなければ地面が固まらないように、問題がある時は雨のような何らかの出来事が必要なのかもしれません。 出会ったばかりの頃は喧嘩ばかりをしていた者同士が、大親友になるということも良くあります。 お互いを理解するまでには、衝突が多く、トラブルが続いてしまうのかもしれません。 ですが、それを乗り越えることで、相互作用で今までよりも、強力になっていけるのだと思います。 現在も世の中は様々な問題が起きています。 問題が明るみに出て、揉め事が起きているということは、良い方向へ解決していくための必要なプロセスなのかもしれません。 そう考えれば、多少のトラブルは仕方がないのかもしれませんが、できるだけ犠牲者が出ないようにしたいものです。 将来的に良くなる方向へ導くためには、今の問題が起きることが必然的なのかもしれません。 しかし、雨が降り過ぎて、地面が固まるどころか、思わぬ方向へ行ってしまい、どこかへ流されてしまうようなことがないように気をつけなければいけないと思います。 私がこの「雨降って地固まる」という慣用句を初めて知ったのは小学校3年生くらいの時で、ただただ色々な慣用句を覚えてるのが、楽しかったので慣用句辞典から覚えました。そんなに深い思い出はないのですが、語呂がよく覚えやすかったのであれから数十年たった今でも覚えています。 この慣用句の意味は「争い事や喧嘩などの揉め事があった後はお互いに信頼関係が生まれて、かえって揉め事が起こる前よりも関係がよくなる」といった意味です。 小さいときの私は喧嘩することは多々ありましたが、仲直りしてもそれほど関係がよくなることもなくいつも通りの関係でした。なのでこの慣用句はおかしいのではないかと思っていたのですが、中学ときにこの言葉の意味がしっかりわかったような出来事がありました。 私は中学のときの部活でサッカーをしていました。そのときのお話です。県大会を勝ち進んでいくつれて、チームの方針がバラバラになってキャプテンと副キャプテンの考えが対立してしまいました。どちらの意見も間違っているわけではないのですが、やはりお互い主張を曲げたくないので自分の意見を突き通しました。キャプテンにつく人たちと副キャプテンにつく人たちと分かれてしまいました。しばらくは練習もぎくしゃくした関係でやっていましたが、あるときこのままじゃダメだと話し合いをしようということでみんなで話し合いました。最終的にはキャプテンがみんなをまとめて両者が納得する結論を出しました。その翌日の練習からみんなの動きもよくなっており連携がすごくうまく噛み合っていたり、以前よりも良いチームとなっていました。このときまさに「雨降って地固まる」だなと感じました。最終的に県大会で優勝して近畿大会に出ることができたので、あの喧嘩も今ではいい思い出です。 何かの事柄が別の作用によって一つの結果に落ち着く事を「雨降って地固まる」と言います。卒業式や結婚式の祝辞の枕詞として使用される事が多く見受けられます。どれだけ地面が荒廃していようと、天から落ちる雨が荒れた大地を綺麗にしてしまう所から、紆余曲折あっても最後に良い結果を得られれば全ての過程が良しと判断されるという意味です。これから新たな道に向かう人への門出の言葉としては、最も重宝されているのです。新天地に行けばそこが例え荒れ地であっても、自らが開拓をする事により住みやすい場所にできますし、己自身が大地を慣らす雨となるも良し、実際の雨がそうしてくれるも良しと、状況によって前向きに捉えれば良いという事です。それに地固まるという位ですから、決意を固めて目指す道に邁進せよという激励の意味も込められているのだと思うのです。人によって捉え方は様々かもしれませんが、本当に祝いの席に持ってこいのワードであるのは間違いありません。この言葉で祝いムードは一気に盛り上がりますし、聞き慣れた言葉ですから悪いイメージを持っている日本人は一人もいないと思います。挨拶の始まり文で天気が良ければ「本日はお日柄もよく~」で調子よく行けますが、悪天候なら「本日は生憎のお天気ですが、雨降って地固まるという言葉もありますように~」と始める事で祝いの空気を損なわずに済むのです。

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面目躍如

【漢字】面目躍如 【読み】めんもくやくじょ 【意味】活躍して世間で認められ活き活きしている様子。 【例文1】母は定年を迎えたが、長年の経験から再雇用を求められ面目躍如だ。 【例文2】決勝弾を放ち面目躍如だ。 面目躍如とは、世間の期待や評価に値する活躍をして、さらに名声を確実にする意味があります。特に一面に大きく「面目躍如の活躍」と表記されている新聞をみたことがあるでしょう。この言葉には力強さを感じますし、前から評価や人気が高かった人物を更なる高見へ進化させた言葉としても通じますね。 人間性も良く表現された言葉で、実力を保持するだけでは中々使われないでしょう。マスコミやファン受けが良いスポーツ選手などに頻繁に使用されるイメージが付いているのです。孤軍奮闘や獅子奮迅と少しニュアンスが似ていますし、普通の活躍ではなくて、歴史に残るような並々ならぬ活躍をした方に送られる言葉だと思います。 例えば何かの世界チャンピオンが頂点の座を守った時、「やはりチャンピオンは凄い」と面目躍如の活躍が湛えられます。もし弱小チームが強豪チームを破って優勝すれば、面目躍如という言葉は使われないはずです。この言葉は力関係の具合によって際立つと言って良いでしょう。 言葉からは優れた能力を称賛するイメージがあり、言われて悪い気がしませんし嬉しいですよね。褒めることに慣れている方や、凄い人たちをさらに褒め称える言葉としても優秀です。

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身を挺する

【漢字】身を挺する 【読み】みをていする 【意味】身を投げ出して行動に出る。 【例文1】川でおぼれた子どもを父が身を挺して助ける。 【例文2】ホームに落ちた人を身を挺して助ける。 川で溺れかけている幼児を身を挺して救った、というニュースをよく聞いたりします。 身を挺するという言葉の意味は、「身を投げ出して事を対処する、または率先して事に当たる」ことを言います。 海のシーズンで溺れかけている子どもを救う親や大人や、駅のホームから転落した方を救うなど、素晴らしいニュースがある反面、助けようとして命を落とされてしまう方もいらっしゃるのも事実です。 命を落とされることには大変悲しい気持ちになりますし、その方の命を救えるような何か手立てがなかったかどうか、色々考えさせられることがあります。 特に、駅のホームから転落された方を助けようと線路に入り、電車にはねられる事故は大変痛ましいことです。 目の不自由な方が電車に乗るのをさけられる方も多くいらっしゃいますが、これは駅のホームが危険と隣り合わせであるからです。 首都圏の鉄道各線においては、ホームに落下防止柵を設けたり、ホームドアを設置したりと、対策を講じていますが、これらのインフラ整備はまだまだ不十分です さらに、朝夕には駅員さんや警備員を配置し、有事に備える対応も実施していますが、それでも不十分さは否めません。 鉄道会社においては、積極的にホームドアの設備投資を何よりも優先度を上げて実施すべきです。 何かを守ろうとする時、己の身の危険を顧みず驚異の前に立ちはだかる行為を「身を挺する」と言います。「身を挺して部下を守る」や「教え子の為、身を挺して直訴する」などその人にとって大事な存在を、例え自分の身がどうなろうと守りたい時に行う行動が「身を挺する」になります。時にそれは捨て身の行動になることもあり、それ程大事な存在でなければ出来ない事なのです。我が子はもちろんの事、教え子や自分を大事に育ててくれた親など挙げればキリが入りません。もちろん挙げた人達全てがそうだとは言い切れませんが、信頼関係や愛情の掛け具合で親近感が湧き、時には近所の子でも日頃から快く思っていれば、いざという時勝手に体が動いてしまうものです。体を張って守りに行く気持ちを持てる存在があるというのは、案外幸せな事なのかもしれません。自分の中に命懸けで守りたい大事な存在が何もないというのは、とても寂しい事であり言い様のない空しさを感じます。出来ればそれが物や動物でなく、人であるならこれ程喜ばしい事はないと思うのです。確かに物は必要ですしペットは可愛いと思いますが、ここ一番身を挺して守るのが、大事なフィギュア人形とかTVゲームとかだと何だか寂しい気がするのは私だけでしょうか。

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