tedukurikotoba (2563)

実を結ぶ

【漢字】実を結ぶ 【読み】みをむすぶ 【意味】長年の努力が成功する。 【例文1】3年想い続けた彼女とようやく実を結ぶ。 【例文2】5年の交際を経て実を結ぶ。 23歳の時に2年付き合った恋人と結婚しましたが、1年経っても自然に妊娠することがなかったため、初めて婦人科できちんと診察してもらいました。するとホルモンバランスが悪く、普通の女性よりも妊娠しづらいことが分かりました。それから主人も念のため診察して貰うと、同年齢の男性と比べると通常よりも精子の運動能力が低いことが分かりました。夫婦ともにその結果に唖然としましたが、とりあえず医師の勧められるままにタイミング法、ホルモンの値を上げるための食事療法、毎日の基礎体温等を行いました。そして以前より冷え性も酷かったので、漢方をはじめとする温活にも力を入れ、意識的に温めるようにしました。旦那の方には飲酒や禁煙をストレスを感じない程度に控えてもらい、少しでも夫婦で赤ちゃんを授かれる体質に変えていけるように、ありとあらゆる方法を試しました。そんな生活をしながら毎月くる生理に悲しくなったり、イライラしたり…。しかし約1年半程経過した頃に、やっと妊娠し待望の赤ちゃんを授かる事が出来たのです。 先が見えない不妊治療は身も心も大きく削られます。 また金銭面の負担も大きく、辛かった事が多かった妊活時代ですが、長い長い治療の末に実を結ぶ結果になり、本当に嬉しかったです。

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尻が軽い

【漢字】尻が軽い 【読み】しりがかるい 【意味】行動が軽快である。軽はずみな行動を取る人をいう。 【例文1】あの子は社内でも尻が軽いともっぱら評判だ。 【例文2】尻が軽い女性は不評だ。 尻が軽いとは尻が重いの反対で行動にすぐ移せることです。 また軽率な行動をとる人にも尻が軽いと使います。どちらかというと女性に対して使う場合が多いです。 尻が軽い女性というと、男性遍歴が多い女性のことでしょう。自分の身の回りの人でも、意外な人が尻軽女だということがわかったりします。尻軽女は、やはり異性から見て魅力的な美人なことが多いです。数多くの男性が寄ってくるので、自然と男性遍歴は多くなる場合が多いです。しかし美人に寄ってくる男性はその人の中身を見ていないので、性格の不一致から短期間で別れることを繰り返していることもしばしばです。 尻が軽いなんて女性にとっては言われたくない言葉です。男性からしてみれば簡単に誘いに乗ってくる女性はどう思いでしょうか。 乗ったら乗ったで尻が軽いとウワサされ、乗らないなら高飛車だと都合よく言うんでしょうね。結婚を考えている女性に対しては尻が軽い女性はいやだと思うのは間違いなさそうですね。 その昔、アムラーだったわたし。 その安室ちゃんも来年引退を発表しました。 わたしも安室ちゃんと一緒に歳を取り、母となり、おばさんとなりました。 安室ちゃんとは年齢も同じ、我が家の下の子と安室ちゃんの子供の年齢も同じです。 ほんの少しだけ勝手に縁のようなものを感じています。 その昔、アムラーだった頃、髪の毛を茶髪にして、ミニスカートに厚底ブーツを履いていた頃、尻が軽いオンナに見られて、変な男性にナンパされる機会が増え、何度か危ないめに遭いそうになったことがありました。 友人もみんなアムラーだったけれど、わたしも含めアムラーに尻が軽いオンナは一人もいませんでした。 みんな安室ちゃんが好きで、安室ちゃんのマネをしていただけ。 軽く見えるかもしれないけれど、みんな純粋にファッションを楽しんでいただけでした。 見た目で勝手に判断をして、いけそう判定を出されるのは侵害でした。 そんな私たちもすっかりおばさんになってしまいました。 今はあの頃の面影もなく見るからに尻の重そうなおばさんです。 安室ちゃんと同じ時間を過ごしてきたはずなのに、いつの間にか大きな差をつけられてしまいましたが最後まで安室ちゃんを見届けたいと思います。

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虚心坦懐

【漢字】虚心坦懐 【読み】きょしんたんかい 【意味】平穏な心で物事を受け入れる事ができる。 【例文1】虚心坦懐でクレーム処理にあたる。 【例文2】虚心坦懐で容疑者と話す。 毎日生活をしていると、些細なことが気になってしまい、それがいつまでも心に残ってしまうことがあります。 良く考えてみれば大した問題ではないのですが、その悩みにどっぷりと浸かっている自分の中では、大きなことのように感じてしまいます。 しかし、世の中にはいろいろなことがあり、事の重大さも千差万別です。 事が重大になってくると、逆に何とか冷静にならなければという気持ちになります。 中途半端な悩みはずるずると引きずりやすいのですが、大きな問題がやってくると、それどころではなくなってしまいます。 大きな悩みを引きずることは、心身にとっても危険な状態になってしまいます。 そのような時に虚心坦懐の心持でいられるようにしたいものです。 私なりのやり方で、何とか平常心を保つ工夫をしてきました。 平常心でいなければ、自分が壊れてしまいそうになることもあります。 なんとか自分自身を保つために、自分なりに気持ちを落ち着かせています。 もし、誰もが虚心坦懐の心持でいつも過ごすことができたならば、無駄な争いやいざこざも少なくなっていくのでしょう。 しかし実際の世の中はそうではありません。 中には強欲に支配されている人も多くいます。 組織が大きくなればなるほど、被害が大きくなってしまいます。 無駄な血を流すことなく、世の中が平和になることを願いたいものです。 虚心坦懐とは、心になんのわだかまりもなく気持ちが、スッキリしていること、無心で平静な気持ちであること、偏見がなく心をひらいていることを意味しています。 虚心が心に先入観やわだかまりがなく、物事をありのままに素直に受け入れることができる心の状態を表し、坦懐はわだかまりがなくサッパリとした状態を表しており、同じような意味の言葉を並べて使うことで、言葉の意味を強調しています。 虚心坦懐に話を聞いた、虚心坦懐に話し合いに臨むなどという使い方をします。 類義語には、虚心平意や明鏡止水などがあります。 明鏡止水はわだかまりや邪心などの余分な感情がないという心の状態を述べる時に使いますが、虚心坦懐はわだかまりやこだわりがない状態で物事に臨む様子を述べる時に使います。 近い意味ではありますが、それぞれ違った状況で使われることが多いです。 虚心坦懐の語源についてですが、懐の文字について説明すると、懐という文字の右側は落ちる涙と衣を示し、涙を衣で隠すという意味があります。 それに心がついて懐となり、胸中に深く包んで 大切に温める気持ちを表しています。 また、東洋思想での虚の文字は空っぽの状態ではなく、超越した状態を表すことが多いです。

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枯れ木に花

【漢字】枯れ木に花 【読み】かれきにはな 【意味】一旦衰えたものが再び栄える。 【例文1】マンション建設で地元の商店街が枯れ木に花だ。 【例文2】保育園建設で高齢地域が枯れ木に花だ。 子どもの頃に聞いた昔話で、「花咲か爺さん」があります。 お爺さんが灰を枯れ木に撒くと、そこにキレイな桜の花が咲いたというところだけは良く覚えています。 現実では枯れた木に再び花を咲かせるのは難しいことだと思います。 しかし、大人になって改めて考えてみると、もしかしたら表面上は枯れているように見えても、実際は完全には死んではいなかったのだと思います。 そう考えると、どんなことでも可能性は残っていて、予想もしない復活を遂げるかもしれません。 可能性は0か100ではなく、諦めずに続けることで、100に近付けるのかもしれません。 起死回生という言葉がありますが、復活する前の状態は意外と瀕死に近い状態なのかもしれません。 しかし、それはこれから大きく復活して成長していくために助走期間なのかもしれません。 大きく前進するためには、その分大きく後退して助走をつける必要があります。 今の状態が仮に良くなかったとしても、それだけで判断しないように気をつけたいものです。 復活して大きく羽ばたく前の準備期間だと思えば、例え枯れ木のように見えても、再び活躍することを期待することができると思います。 花咲か爺さんは善良な人で良い行いもたくさんやってきました。 やはり日頃の行いが、いざという時に奇跡のような幸運をもたらしてくれるのだと思います。 私は小学生の時将棋が好きでした。しかし中学に入り部活が忙しくなると自然と将棋盤に向かうことはなくなりました。 ところが最近、加藤一二三九段や藤井聡太四段が頻繁にニュースになり、また将棋をしてみようかなという気持ちになって枯れ木に花のように将棋に再びハマりました。 最初は駒の動かし方も怪しかったのですが、今はインターネット対局やツイッターの無料に詰将棋もあるのですぐにカンを取り戻しました。 日曜の午前中はテレビ対局を観戦し次の手を予想したりしながら、ゆったりとした時間を過ごしています。羽生善治棋聖や佐藤天彦名人など、スター棋士がどんどん出てくるので面白いです。 父親と対局するのも楽しく、その様子を見た母も将棋を始めました。今では冷蔵庫にマグネットの将棋盤を貼って、料理の合間に対局を楽しんでいます。 今は家で楽しんでいるだけですが、将来的には将棋のイベント会場に出向いてプロの指導対局を受けたり、将棋教室に通ったりしてみたいです。幸い同県にアマチュアの強豪の方がいるので楽しみです。 将棋をしていることで、集中力がつき毎日コツコツ努力することの達成感もあります。年を取ってもできるゲームなので、生涯の趣味としたいと思います。 言葉の通り一度枯れた木が再び生を取り戻し、花を咲かすまでに回復する様を「枯れ木に花」と言います。「あり得ない事が起きる」や「現実出ない事が起こる」など意味は様々です。この言葉で日本人なら誰でも思い出すのは、やはり「花咲か爺さん」という昔話でしょう。正直じいさんが飼っていたポチという犬が示す場所を掘るとお金が出て来て、欲張り爺さんがポチの示す場所を掘るとガラクタしか出て来ない。怒った欲張り爺さんはポチを燃やすという暴挙に出ますが、ポチの死を憂いた正直じいさんが枯れ木に遺灰を撒くとパッと花が咲き乱れ、欲張り爺さんだと何も起こらず殿様の怒りを買って罰せられるお伽話です。枯れ木に遺灰を撒く掛け声がまさに「枯れ木に花を咲かせましょう」でしたから、あまりにも聞き慣れたフレーズというしかありません。総じて先に述べた意味としてこの言葉が切り取られ、用語になっているのは不思議な気分です。復活を意味する言葉として使われているのは納得が行きますし、不当にポチの命を奪われた正直じいさんの悲哀を察したポチが、灰となっても生命の偉大さを「枯れ木に花」を咲かす事で体現する美談であると思うのです。只、何故ポチは正直じいさんだけでなく、欲張り爺さんにもそれなりの利を与えようとしなかったのでしょう。仕返しも程々にしておけば、ポチも命を落とさずに済んだ筈ですから。

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一知半解

【漢字】一知半解 【読み】いっちはんかい 【意味】一つは知っているが、半分しか理解できていない。 【例文1】訪問販売の営業マンだって一知半解。 【例文2】営業トークが一知半解。 今やインターネットは生活のメインになりつつあります。高齢者もスマートフォンのアプリを駆使するような時代になりました。しかし、情報が簡単に手に入るからこそ一知半解になっているとも言えると思います。私はよく仕事の関係で、色々な女性達と食事をする機会があります。キラキラしている女性達は情報を得ることに対してもとても貪欲。さまざまな知識を豊富に持っているのです。 しかし、時々あれ?と思うようなことがあります。知識がちょっと古いなと思うようなことが多いのです。例えば女性の大好きなスムージー。日本人女性は体を冷やしやすいので、氷を入れて作るのは厳禁です。白湯を用意したり、ホットスムージーなどを飲むというのが主流になりつつあります。しかし、キンキンに冷えたスムージーの素晴らしさを語る方がいました。こういう時、一知半解ではないのかと思うようになったのです。 インターネットで適当に流し読みした知識を、まるでその場で見聞きしたように語る方、周りにいませんか?私の周りにはたくさんいます。これはネット社会の弊害とも言えるでしょう。だからこそ、情報に踊らされすぎないように吟味していく必要があるのだと思います。一知半解にならないネット社会を目指したいですね。 「一知半解」という言葉を私は今まで聞いたこともありませんでした。 なんとなく一つ一つの言葉を考えれば想像はつくものの、実際にはどのような意味で用いられているのか、調べてみました。 「一知半解」とは、物事を少ししか分かっておらず、十分に理解していないこと、という意味で、生かじりとも言い換えられる言葉です。 この言葉を見てふと考えたことがありました。 どんな人でも、政治であれ芸能であれ、この一知半解な知識の分野というのは存在すると思います。 しかし、好きなことは沢山話せても、自分が一知半解である分野のことに関して話を膨らませることは容易くなく、これができる人はコミュニケーション能力に優れているといえます。 得意分野は引き出しが多い分、次々と話を続けていくことができますが、理解の少ない分野というのは想像が膨らまず、なかなか会話を続けることが難しいものです。 探究心の強い人は、「それってどういうこと?」「だからこういうことになるんだね!」と上手く返すことができるのでしょうが、皆が皆それをできる訳ではありません。 しかし、サービス業に携わっている人は特にこの技術が必要とされます。 コミュニケーションに必要なのは深い知識以上に、一知半解な知識でも、それについて知りたいという意欲を持つことが重要なのではないかと、この言葉を調べて改めて思いました。

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