tedukurikotoba (2563)

勧善懲悪

【漢字】勧善懲悪 【読み】かんぜんちょうあく 【意味】良い行いを勧め悪人を懲らしめる。 【例文1】勧善懲悪の絵本を読み聞かせする。 【例文2】勧善懲悪の世の中。 勧善懲悪とは善い行いは勧め悪事は懲らしめるという意味です。 当然のなりゆきだと思います。 私は自分で言うのもなんですが、正義感がある方だと思います。 近所のスーパーで中学生が万引きをしたのを目撃しました。 当時その店にはまだ防犯カメラが付いていませんでした。 証拠はあるのか?と言われればそれまでですが、私はこの目ではっきり見ました。その中学生3人に近寄って 「駄目よー」とだけ声をかけました。それだけでも抑制できると思ったからです。 すると盗った物を商品棚に戻して店内を後にしました。私は小さい子どもを連れていたので後で仕返しをされないように帰り道とは逆の方にそそくさと急いで帰りました。まあ子どもはこの勧善懲悪の今日の出来事は理解できていませんが、絵本で毎日読み聞かせをしております。幼いうちから善悪の判断が身に付いていると人にやさしくできると思ったからです。 世の中には詐欺や悪事を平気でやる者がいるようですが、平和に暮らすためにもみんなが勧善懲悪になる事を願います。

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犬が西向きゃ尾は東

【漢字】犬が西向きゃ尾は東 【読み】いぬがにしむきゃおはひがし 【意味】当たり前のこと。 【例文1】お礼を言うのは犬が西向きゃ尾は東だろ。 【例文2】女性ばかりが家事をするのは犬が西向きゃ尾は東ではない。 『当たり前』とは一体何なのでしょうか。犬が西向きゃ尾は東などといいますが、『当たり前』というのは人によって定義が違うものです。 たとえば友人と話をしていて、その友人が実家暮らしだということが判明したとします。すると大抵の人は「実家暮らしだから、母親が朝ご飯も夜ご飯も用意してくれている」と考えるのではないでしょうか。しかし実際は「ご飯は家族でローテーションで作っている」のが当たり前の家庭かもしれません。あるいは何らかの事情で母親はおらず、一緒に暮らしている親は父親のみということだって有り得ます。また高校においては、進学校であれば「大学に進学するのが当たり前」というところも多いでしょう。しかしそうではない高校は、進学もあれば就職だって進路選択の道として当たり前に存在します。 このように『当たり前』というのは、人や環境によってだいぶ幅があるものだと言えましょう。ですからたとえ自分が考えている『当たり前』とは、異なる『当たり前』に出くわして驚いたとしても、頭ごなしにその『当たり前』を否定するのではなく、まずは「そういう当たり前もあるのか」と思ってみても良いかもしれません。新たな発見があって楽しいかもしれませんし、何より勉強になるのではないでしょうか。

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青二才

【漢字】青二才 【読み】あおにさい 【意味】生まれたての赤ちゃんにはお尻に青い蒙古斑がある。そこから成熟者が未熟者を見下していう言葉。謙遜した言い方。 【例文1】棟梁からまだまだ青二才だなと言われた。 【例文2】まだまだ青二才ですが、がんばります。 青二才って実生活で使う事ってあまりないような感じです。 それよりも自分の経験からいうと、主に漫画の世界で登場してるような言葉なのです。 実際に相手から青二才とか言われたとしたら、あまりいい気はしません。 もちろん、この言葉の意味自体が経験の浅い人に対して向けられるので納得はできますが、それでもどちらかというと好きではない方です。 たぶん言う側の相手の立場は上司や、その道の熟練者や経験者だと思います。 そして、自分がまだ物事に慣れてない状態の時に「この青二才が!」とか言われたらその人に対する評価が下がります。 まだ自分が未熟な時だったら、アドバイスや意見などがあるのでしょうが、それでも頭ごなしに否定させたらいい気のする人ってあまりいないのではないでしょうか。 ただある程度、信頼してたり好きな相手から「まだまだ青二才だな」と微笑みながら言われた場合には、それほど好感度も下がりません。 逆に「この人のようになるために努力しよう」という気持ちになります。 本人が謙虚になって「自分はまだ青二才ですので」などを言う場合です。 その時に相手の気持ちとしては、「可愛いな。色々と教えてあげよう」と思ってくれる可能性もあります。 生まれて間もない乳児のお尻の青さに見立て、若さに任せて考えや行動が充分でない人を軽視する表現が「青二才」と言います。未熟さ故に後先考えない行動や発言が目立ち、対峙する相手に良い様に遣り込められてしまいます。若い人とベテランの人が勝負する時に良く耳にするのが「青二才の若造が」と言う言葉ですが、若い相手を前にして自分の方が有利と思い、つい油断している事が窺える一言だと思います。他にも「ウチの息子はまだまだ青二才なので、そんな大役務まるとは思えない」などは、経験不足を鑑みた発言であり、成功より失敗の可能性が高いと思ってる時の言葉でもあります。先の「青二才の若造が」の方は、明らかに相手を見た目で判断しハナから見くびっていますので、そこに隙が生じ返り討ちにあう事もしばしば見受けられます。何事も油断は禁物ですが、人というのはどうしても相手を見た目で決めつける嫌いがあり、実は若者の方が修練を良く積んでいる事に気付いていないのです。その時点で勝負は既に着いた様なもので、もしこれが真剣勝負の場であれば、後になって後悔しても斬られてからでは遅いのです。未熟であるが故に失敗するケースもあるでしょうが、相手を見くびって負ける手合も無駄に歳を喰っているだけの「青二才」と言って良いと思うのです。

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白黒をつける

【漢字】白黒をつける 【読み】しろくろをつける 【意味】物事の善悪をはっきりさせること。 【例文1】どちらの言い分が正しいか白黒をつけようじゃないか。 【例文2】仕事と私、どっちが大事か白黒をつけてよ! 白黒をつけるとは、物事をはっきりさせる事、勝負事が絡む場合に使われる言葉です。 恋愛でいえば彼女が彼氏に 「別れるの?別れないの?答えはふたつにひとつよ。どっちかはっきりしてよ!」などの経験をした方もいるのではないでしょうか。 決着を付ける時はどっちが正しいか今日こそ白黒をつけようというな場面もありますね。物事にははっきりさせてもしいものですよね。 わたしも何をするにもきっちりしておかないと気が済まない性格でして白黒をつけています。煮え切らない状況はイライラしますからね。だからと言って相手に強要するのは重いとしか思われるので程々にしております。とまあここまでは 20代前半の頃の経験です。後半にもなると実生活では恋人もできていわゆる結婚適齢期突入です。付き合いは2年です。結婚するのか?このまま付き合っていくのか白黒をつけてほしい気持ちもありますが、その気があるのか気持ちを確かめるのが怖いなという想いもあります。今はたただ彼と楽しく過ごせる事が嬉しいですが、どうなる事でしょう。 白黒をつける、物事をとかく是か非か、良いか悪いかをはっきりさせたい性格です。そして白黒をつけた後に黒の方をそれはそうじゃないでしょ!と自分の価値観で正そうとする厄介な性格です。私の父親がそういった性格で、とにかく自分の価値観で白黒をつけてその価値観を他人にも向けてきます。そして自分が黒だと思ったことに対しては一ミリも理解しようとしません。そんな父親の考え方が本当に嫌いだったのに悲しいかな大人になって段々と考え方が父親に似てきています。 自分の中で物事を白黒をつけるのは全然問題ないと思います。誰だってそうやって自分の価値観を築いていくのだと思います。しかし自分の価値観を相手に押し付けること、自分の価値観だけで物事を判断すること、他人の価値観を許容しないこと、これはダメだと思います。人は人、自分は自分です。 それでも相手に対してそれはどうなの?と思うことはたくさんあります。そんな時にグレーゾーンというのは本当に素晴らしい発想だと思います。どっちにもとれる解釈だったり、あえてそこには触れない、グレーゾーンは世の中が上手く回るためのキーワードです。 特に日本の領土問題なんかは両国が納得する解決方法はなわけなので、白黒をつけずにグレーで十分だと思います。 高校教師だった亡き父は、熱血バレーボール監督として地元ではちょっと有名な人物でした。熱血と言われるだけあって、外でも厳しければ、家の中でも、つまり母にも私にも厳しい人でした。とにかく物事の白黒をつけるのが大好きで、白か黒、0か100みたいな気質は知らず知らずのうちに私にも受け継がれていたようです。高校、大学時代はのほほんと暮らしていたのですが、社会にでた途端に、迫られる様々な判断、揉め事、ややこしい恋愛沙汰。その都度、すぐに白か黒か決着をつけようとするので、何度となく友人に注意されたものです。世の中には善悪はっきりした事はあっても、白か黒かで言い切れない事がたくさんあると教えてくれたのが今の夫でした。夫と結婚してからの日々は夫の転職や自営がうまくいかない時期、出口の見えない不妊治療に嫁姑問題など、一人ではあり得なかった様々な出来事が起こりましたが、夫の対応は良く言うと柔軟、私から言わせると煮え切らない、はっきりしない、優柔不断で結婚当初はたくさんケンカもしました。夫に言われたのは、私はすぐに白黒つけたがるから、良くない。ゆっくり状況判断したり、相手の出方を見る事も大切だ、という事。確かに急いで決着つけすぎて失敗もたくさんしてきた私ですが、子供も生まれてやっと落ち着き、物事をのんびり構える事ができるようになりました。 白黒をつけるという言葉の意味は、物事が正しいかどうかをはっきりさせる、という内容です。 例えば、オセロの世界としての二者択一であったり、コンピュータシステムにおける、2進数表現としての0か1の世界と似ていますが、日本人からみると、白黒をつけることは苦手である人種であると思います。 例えば、日本語がそうです。 文章から内容を読み取るには、文章として書かれていない行間からも内容を読み取る必要があったりします。 また、日本人の場合、情という目に見えないものもあり、書かれていないことも暗黙の了解として理解していることもあります。 つまり、よく言われるグレーな感じや、玉虫色な対応という、方針は決まっているが、条件によってはその限りではないという社会性です。 一方、欧米における契約社会においては、文章に書かれていないことは一切やりませんし、性格もドライであることもあり、白黒をつけるという社会性があります。 このように、日本人にとっては白黒をつけることが得意ではない性格のため、たまに損をしてしまうこともあります。 例えば、時間的に厳しい課題に対して、はっきりと出来ないといえず、ずるずると結論を先送りする傾向も、一種、白黒をつけることが不得意な日本人の性格が現れている証拠です。

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気を配る

【漢字】気を配る 【読み】きをくばる 【意味】いろいろな場面で気使う。 【例文1】赤ちゃんのご機嫌取りに気を配る。 【例文2】よちよち歩きの子どもに気を配る。 以前勤めていた職場に、気を配るのがとても上手な人がいました。その人はいつも明るく笑顔で、先輩には可愛がられていましたし、後輩の面倒もよく見ていて、誰からも好かれていました。なかなかそんな人いないと思うのですが、彼女が素敵だったのは、気を配るのが自然で、気を配ること自体がその人の特徴という感じで違和感がなかったからだと思います。 もし、意識して気を配ろうとすると、違和感が出てしまうし、もっとひどいと嫌味っぽくなってしまいます。また、ついつい見返りを求めてしまい、気疲れするかもしれません。そうならずに、自然に気を配れるあの人は、どういう人なのか考えてみました。 そこで気付いたのは、気配り上手な人は、とにかく人が好きということ。どんな人に対しても親しみを持てる心の温かさがあります。そして、その人自身が愛されていること。愛されているから、人を好きでいられて気を配る余裕があるのです。つまり、気を配る→人に好かれる→心に余裕ができまた気を配れるという、いい循環ができているのではないかと考えました。 では、自分が人に気を配れるようになるにはどうしたらいいか。それは、まずは自分を肯定してあげることから始めるのです。自分を好きになれて初めて人を思いやれる心の余裕を持てるからです。 今まで、いかに自分主体の考えしか出来ていなかったかがよくわかりました。ここ最近は色々と新しい人との出会いがあったのですが、これが良い出会いばかりだったんですよね。そのため、素直に気を配ることが出来ていたと思います。やっぱり話を聞いてくれない方とか、仕事を進めていくうえで良い関係を築くのが難しい方もいます。そういった煩わしさから開放されたような気持ちでした。 しかし、こうして気を配ることで相手に感謝され、仕事も良く進むことに気付いたんですよね。相手の人柄が良いことはもちろんですが、それは向こうが大人だからこちらに気を配ってそうしてくださっているのかもしれません。そう思うと、何だか急に恥ずかしくなってしまいました。 それからは、ちょっと苦手な方とも積極的に話すように。こちら側が気を使うと、たしかに面倒な方もいますが、気持ち良く仕事をしてくれるようになった方もいます。おかげで仕事の効率がすごくアップしました。こういうのが大人になるってことなのかな、とふと思いましたね。どうせ本人に面と向かって文句が言えるわけではありません。それならイライラするのではなく、相手のご機嫌を良くさせることで仕事を円滑に進めるというのもアリなのですね。

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