tedukurikotoba (2563)

旅の恥はかき捨て

【漢字】旅の恥はかき捨て 【読み】たびのはじはかきすて 【意味】旅先では知り合いもおらず、恥をかいてもその場限りである。 【例文1】旅の恥はかき捨てだから、気に入った女性に片っ端から声をかける。 【例文2】旅の恥はかき捨てで太った体系でも堂々温泉に入る。 【例文3】旅の恥はかき捨てで酔っ払う。 以前、勤務していた職場の旅行で、旅の恥はかき捨てを絵に描いたような人がいました。 評判は聞いていたのですが、予想通りというか予想以上に困った状況になってしまいました。 私はその時旅行の幹事の一人でした。 幹事でなければただ笑って過ごせたかもしれないことも、バスやバスガイドさんに多大な迷惑をかけたことが本当に申し訳ないと思いました。 困った行動を起こした本人は完全に酔っ払っていたので、その記憶がまったくありません。 それもまた困ったものですが、旅行のような非日常の場面になると、ハメを外しすぎる人がいるものです。 特に普段、さまざまな抑圧に押されて我慢している人が、お酒と場所の力を借りて暴走してしまうのかもしれません。 私からすれば、普段から少しずつ毒を吐いておけば、こんな醜態にはならないと思うのですが、酔って記憶がない人に言っても効果はありません。 それにしても、旅行関係者はこういう困った人を扱っていかないといけないので、本当に大変だと思います。 私も学生時代はツアコンの仕事に興味を持ったことがありましたが、果たしてやっていけたかどうかはかなり怪しいところです。 「人のふり見てわがふり直せ」ではないですが、旅行とは言え、ハメを外しすぎないように気をつけて楽しく旅をしたいです。 『旅の恥はかき捨て』ということわざがあります。これは『旅先では自分を知る人もいないうえに、ずっとその土地に居座るわけでもないから、恥をかいてもその場限り』という意味です。ですがこの言葉には、続きがあるようにも思えます。 たとえば旅行をしに行って「旅の恥はかき捨てという言葉があるくらいだから」という気持ちで、旅行先でトラブルを起こしてしまったとしましょう。けれどトラブルを起こしても「どうせこの場限りだからどうでもいい」と考えてしまう人もいるかもしれませんね。ですが世の中には、不思議な巡り合わせがあるときだってあります。 旅行から帰ってきてまたいつもの生活に戻り、会社で仕事をするとします。 ある大企業と契約を結べたと喜んでいたら、その大企業の執行役員が、かつて自分が旅行先でトラブルを起こして怒らせてしまった相手だった、ということも有り得るでしょう。もし相手が自分の存在に気付き、「あのときトラブルを起こした人だ」と分かってしまったなら、契約を破棄されてしまうことだって可能性としてはあるに違いありません。 確かに『旅先で恥をかいてもその場限り』かもしれません。しかし『旅先で起こった問題はずっと残る』とは考えられませんか。いくら旅行で開放的な気分になったとしても、他人に迷惑をかける行為は慎むべきでしょう。

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縦横無尽

【漢字】縦横無尽 【読み】じゅうおうむじん 【意味】自由気ままに振る舞う様子。 【例文1】親の心配をよそに縦横無尽に旅をしている。 【例文2】若いうちは縦横無尽に過ごす。 【例文3】子どもが縦横無尽に走り回る。 私は子どもの頃から、好きなことには夢中になって遊んだり、趣味に没頭していました。母の話では幼い頃から元気いっぱいで家の中を走り回ったりしていたのでよく下の住人から苦情がきていたそうです。さらに弟ができてからますますパワーアップしたのでのちに中古の家を買って引っ越しました。 そこからは公園が目の前でしたので宿題もせずに暗くなるまで自転車に乗ったり、遊具で遊んでいました。帰宅するとよく母に怒られていたもんです。そんな時ちちは「いいじゃないか思い切り走りまわることができるだけでも幸せなことだぞ」と笑い散らしていました。 成人した今、近所の保育園の園庭で縦横無尽に走り回る園児を見て微笑ましく見て通勤しています。今保育園の園児たちの声がうるさいとか保育園建設反対とかニュースで騒がれてますけど、未来を支える大切な子どもたちですからね。政治家は子どもをたくさん産んでほしいだの、でも保育園建設は反対だの勝手なことを言わないでください。

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猿知恵

【漢字】猿知恵 【読み】さるぢえ 【意味】何かたくらみがある知恵。 【例文1】道に財布が落ちていた。お礼をもらえるのではないかと猿知恵を働かせて落とし主に連絡をする。 【例文2】猿知恵がばれて失敗に終わる。 【例文3】猿知恵だけは案が浮かぶ。 猿知恵。気がきいているようで、実はあさはかな知恵。こざかしい知恵。(出典:デジタル大辞泉) 猿は動物の中では人間に近いと言われるほど賢いことで知られていますが、それでも人間には遠く及ばないことから、この言葉が生まれたようです。 最近、わが子に対してそれは猿知恵だと思うことが多々あります。 子どもは、自分が怒られたくないあまり、保身のために嘘をついたりわからないふりをしたりするのです。 親からするとその嘘やわからないふりがバレバレのため、余計に怒ってしまいます。 幼稚園の頃はそんな知恵を働かせることはありませんでした。嘘はつけず、ある意味素直に怒られていました。 小学生になってからでしょうか、明らかに自分の行いのせいで下の子が泣いてしまった時に、私が怒ると、「え?なになに?」と首をかしげるのです。 「なんで下の子が泣いてしまったのか、私にはまるで検討がつきません、わかりません」というポーズを作っているのです。 本当は、自分の行いが原因なのはわかっているのです。でも、それを認めてしまうと私に怒られる。 なので、「え?なになに?」と首をかしげる演技をするのです。 低学年の猿知恵に騙される母ではありません。そのわざとらしいセリフと首のかしげ方がますます私の逆鱗に触れ、結局お説教はますます長くなってしまいます。 素直に悪いことを認めて謝ったほうが怒られなくて済むのに、なんと浅はかなんでしょう!

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五十歩百歩

【漢字】五十歩百歩 【読み】ごじっぽひゃっぽ 【意味】どちらも大して変わらないこと。悪い意味で使われる。 【例文1】5分遅刻しようが6分遅刻しようが五十歩百歩だ。 【例文2】29点と28点を競っても五十歩百歩で赤点には変わりない。 【例文3】はたから見れば五十歩百歩の言い訳にすぎない。 五十歩百歩は有名なことわざで、私も使ったことがあります。 あまり良い意味では使いません。 大した差がないのに自分の方が上回っているとか、良いように思えるなどという人に対して言ったことがあります。 それは冗談交りの会話の時に用いているので、それほど相手も気にしていないようです。 しかし、世の中には冗談が通じない人もいます。 あまりそういう人と接することは少ないのですが、あらかじめ性格を知っていないと飛んでもないことになりかねません。 傍から見ていると大した差はないのに、人はなぜか優劣をつけたがってしまいます。 そこで多少自分の方が上回っていたとしても、周りからみれば大差はなく、まさに五十歩百歩です。 人のことはそう思えますが、自分のこととなると状況が変わってきます。 優劣を付けないように、違いを機にしないようにしても、やはり気になってしまいます。 それに自分が気付くと、なんて器の小さい人間だとがっかりしてしまうこともあります。 五十歩百歩にいちいち目くじらを立てずに、笑って水に流すような人でありたいと思います。 人は違って当たり前ですし、同じだったら逆に怖いことです。 それに気付いていながら、つい自分のことになるとムキになってしまうことがあるので気をつけていきたいです。 私が学生の頃には偏差値がありました。同じ生徒の間では今回の模試は80点取れた85点取れたなどのことをよく友達通しで競い合ったものです。80点も、85点も五十歩百歩なのですが、1点違っても入試は厳しいもので合格、不合格の線引きをされます。そこで私たちが学生の時は1点点数を上げるがために猛勉強をしたものです。しかし猛勉強をしてもそう簡単には点数は上がりません。それで落胆したり喜んだりという学生時代でした。そうした中で私は本番では思った点数が取れず、第一希望の大学には合格できませんでした。しかし社会人になった今、誰さんと誰さんの偏差値が3違ったなどは五十歩百歩だったと思います。職業に就くと、学生時代の高校なんかどこも五十歩百歩であることが分かりました。社会人になるとある程度の学歴は重要だと思いますが、実力の世界だと考えます。学歴が多少いいからと言って出世するとは限りません。仕事ができるか、コミュニケーション能力はどうか、性格的なことなど様々な観点から評価されます。大卒の人よりも高卒の人の方が出世する場合も多く見てきました。学生時代の成績なんて五十歩百歩なんです。だから、今の若者には勉強プラス色々なことに挑戦してほしいと思います。

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黒山の人だかり

【漢字】黒山の人だかり 【読み】くろやまのひとだかり 【意味】日本人の黒髪からきている。大勢の人が集まって山のように見える様子。 【例文1】バーゲンセールで黒山の人だかりで賑わう。 【例文2】リニューアルオープンで黒山の人だかり。 【例文3】ロケ地がファンでいっぱいで黒山の人だかり。 大勢の人が一つの所に集まっている様子を「黒山の人だかり」と表現します。 イメージとしては、昔の街頭テレビ。まだ今のようにテレビが普及していない時代、大都市の街中に街頭テレビが置かれ、多くの人がテレビの前に群がって、夢中になって放送を見たという様子が、写真や映像に残っています。 「街頭テレビに群がり、力道山のプロレスの試合に夢中になる人々の、黒山の人だかり」は、たいへん有名な昭和のワンシーンと言っていいでしょう。 この言葉がいつごろ生まれたのかはわかりませんが、日本人の頭髪が黒いために、「黒山」と表現されたことは間違いありません。黒い髪の人が集まっている様子がまるで黒い山のように見えるとうわけですね。 ということは、たとえばある世代のあるタイプの人だけがたくさん集まるシーンで、そこにいる人のほとんどが茶髪の場合は、使えない表現ということになるのでしょうか。 確かに、見た目が「茶色い山」の場合、わざわざそれを「黒山」に喩えるのは、無理があります。 そこで、思いついて、「外国にはこういう表現はあるのか」を、ちょっと調べてみました。 「金山の人だかり」というような表現があったらおもしろいと思ったのですが、私が調べた限り、残念ながらそういう表現は見つかりませんでした。

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