tedukurikotoba (2563)

花も実もある

【漢字】花も実もある 【読み】はなもみもある 【意味】外見だけでなく中身も備わっている。名実ともに優れている。 【例文1】綺麗で賢くて花も実もある。 【例文2】彼女は品格も学歴もあって花も実もある。 【例文3】料理もできて母としても花も実もある。 人間見た目が全てというのがありますけど、実際会ってみるとまともな人間だと思ったのが実はだらしない人だったり、人に対して冷たかったりというのがよくあります。本当に立派な人というのは花も実もある人で、外見だけでなく中身も素晴らしいのです。人間的にしっかりしている人は、まず苦労してる人が多いです。苦労してるからこそ人の気持ちもわかり助けてあげられるのだと思います。花も実もあるかどうかは話し方にも現れてきます。人の話しに耳を傾けている人、自己中心的な話しになっていないかというのも大切なところです。嘘をつかないというも大事で、中身のない人というのは平気で嘘をつきます。自分さえ良ければ他の人はどうでもいいので、都合のいいことを並べて嘘ついてきます。嘘つくようになると人間関係がギクシャクしてきますしトラブルの元となってしまいます。花も実もある人になるためには、まず土台をしっかりすることです。氷山の部分があれば多少のトラブルがあってもブレないですし、人に何を言われても不動の心を持てるようになってきます。教養も大切で常に学ぶ精神を持ち続けていけば、外見だけでなく中身もしっかりしてきて花も実もある人間として成長していきます。

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二番煎じ

【漢字】二番煎じ 【読み】にばんせんじ 【意味】二度煎じたお茶は味がないことから、繰り返しでおもしろさがない。 【例文1】毎回同じネタで二番煎じだ。 【例文2】芸人は二番煎じに苦労する。 【例文3】二番煎じは飽きた。 二番煎じというのはすでに存在するものの模倣などをしただけであり、新鮮味がないといった、否定的な意味合いで使われる言葉ですが、昨今のテレビ番組ではこういった二番煎じと言われるような企画がいくつか目立ち、それが視聴者によって批判されているといったニュースがたまに見つかります。実際には二番煎じというよりは、パクリという言葉で批判されることも多いですが、なぜ批判されるのか?と言えば、実態が二番煎じだからでしょう。アイデアをパクっても、元の番組よりも面白いもの、独自の面白さが加わったものが出来上がれば、それは新鮮味があって、付加価値のついた番組ということが言えますから、二番煎じではないです。しかし、アイデアをパクりつつも、内容まで同じようなものになっているという現状があれば、それは視聴者から見れば二番煎じでしかないということで、それが批判の真意なのではないか?と思います。テレビ番組の制作において、二番煎じの路線を貫くのは簡単なのかもしれませんが、視聴者の気持ちも考えないと観てくれないという問題がありますから、すでに存在する番組の二番煎じではなくて、オリジナルの面白さを持った番組を作っていく努力をしないといけないのではないでしょうか?

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泥を被る

【漢字】泥を被る 【読み】どろをかぶる 【意味】他人の失敗を引き受ける。 【例文1】主犯格の泥を被る。 【例文2】我が子の不始末の泥を被る。 【例文3】社員のミスの泥を被る。 泥を被るというと車が通ったときに水溜りの泥を被ったような印象がありますが、諺では自ら犠牲になることを意味しています。子どもの頃に泥を被ることといえば、野球のボールでガラスを割ってしまったとき、他の子がやっても自分がやったと名乗りでることで、周りの友達からは感謝される子もいました。 社会人になってからは泥を被ることは少なくなってきましたが先日、通勤しているときに掃除会社の社長の本を読みました。社長は誰よりも早く出勤して、トイレ掃除を行っていたといわれています。本来なら部下がやる仕事を社長自らが泥を被ることで、社員が見習うようになり掃除会社が大きく成長をしていったという話です。人が嫌がる仕事はビジネスチャンスでもあるのです。やりたくないからお金を払って誰かにやってもらう。 こうした泥を被る会社というのは、最近ではハウスクリーニングなどの会社が成長してきています。一般のサラリーマンなら朝早く来てトイレ掃除するなんてことはあまりないでしょうから、泥を被るのであれば、朝早く出社して身の回りの掃除をしたり、みんなよりも仕事をたくさんすることだと思います。残業してまで仕事をするとなると賛否両論がありますけど、泥を被るつもりで他人の仕事が遅れているようなら、手伝ってあげることも大切ではないかと思います。 泥を被るという表現があります。私のイメージでは例えば自分の部下の発注ミスや、子供の起こした不祥事などでその責任を部下や子供のせいにするのでは無く、それは自分が悪い(自分の管理責任とか、指導不足を理由にして)のですのでこっちに苦情を・・。というイメージではあるけど、友達がいうには若干違うらしいです。 上記の例に例えると発注ミスとか不祥事を起こしたのは部下、子供ではなく自分にある。というのが本来の意味という事を言われました。子供の不祥事を自分のせいにするのは無理な設定ですが泥を被るという表現はそういう事らしいです。 意見が食い違うので、調べました。やはり友達の表現の方が正しいらしく、間違って覚えていたのだなぁと呆れています。 刑事ドラマで自分が犯人です、と犯人は他の人(だいたい自分の恋人や家族、とか知り合った期間が短くても実は想いをよせていた人で。その人をかばってその人の幸せん願うとか・・)なのに徹底的にかばう人が泥を被っている人の例えとして正しいみたいです。 自分は職場では比較的泥を被せる人で結構同僚にミスを被せて自分は楽してる節もあるのでその被せた人にたまには償い(食事奢ったり)しないといけないなぁ、と思いながら仕事しています。

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手を付ける

【漢字】手を付ける 【読み】てをつける 【意味】物事を始める。使い込む。食べ物を消費する。 【例文1】子どもの学資保険に手を付ける。 【例文2】とうとう闇金に手を付ける。 【例文3】どこから手を付けていいかわからない。 お金の使い方が上手でないと貯金まで手を付けることになり、浪費癖があると結局は残らないことになってしまいます。日本人の生活は豊かになってきましたが、実際に1000万近く貯金のある人はごくわずかです。貯金があっても100万から300万くらいの人が多いのが現状です。中には借金に手を付ける人もいて、貯金どころかマイナスの生活になってしまうこともあります。浪費癖を少しでもなくすには、家計簿をしっかりと付けることが大切です。収入が多ければ普通に買い物をしても問題ないですが、日本は物価が高い国なので収入が低い人にとっては、苦しい生活を強いられることになってしまいます。普段の買い物をするとき少しでも無駄を減らすのであれば、スーパーで半額になる時間帯まで待ってから買うようにすると、無駄がだいぶ省けていきます。食事代だけで月に5万使ってるとしたら、スーパーの半額を利用すれば2万5千円の出費で済むようになります。残りは貯金に回せるので年単位でコツコツ貯めていけばだいぶお金が貯まってきます。給料は増えないのであれば、割引きセールを利用するしか方法はありません。浪費癖を無くしていくには普段のお金の流れをきちんと把握していくと、貯金に手を付けることなく生活できるようになっていきます。

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茶番

【漢字】茶番 【読み】ちゃばん 【意味】見えすいたくだらない演技。 【例文1】謝罪会見は茶番劇で誠意もみられない。 【例文2】政治家の茶番会見だ。 【例文3】茶番劇に腹が立つ。 政治家の動きなどをさげすんで表現するときに、よく「とんだ茶番だよ」という言い方をします。裏の駆け引きが見え透いていて、ばかばかしくくだらないようすのことをそう呼ぶわけですが、考えてみると、どうしてそれが「茶番」なのか、よくわかりません。 「そもそも茶番って何?」と首をかしげる人は少なくないでしょう。私もその一人。この言葉の「茶番」とは何か、わからないで使っていました。 この言葉のルーツは、江戸時代の歌舞伎にあるのだそうです。「とんだ茶番劇」という言い方をすることもありますよね。「劇」が付くことがあるのは、歌舞伎がルーツだからなのでしょう。 江戸時代、歌舞伎の下っ端の役者、いわゆる大部屋にいる「その他大勢」の役者たちの楽屋内の仕事の一つに、お茶汲みがあったそうです。そういう雑用を、下っ端役者がやらされていたわけですね。 そのお茶汲みは当番制で、当番になった役者が、楽屋内で余興として寸劇を披露したのだそうです。ちゃんとかつらや衣装を着けることもあれば、そうでないこともあったようですが、いずれにしても、お茶汲み当番の見せる寸劇であるところから、「茶番狂言」と称しました。ここでの「狂言」は芝居という意味でしょう。 それが、吉原や一般の人にも広まっていって、「くだらないこと、ばかばかしいこと」を「茶番」というようになったわけですね。 今でもけっこうよく使われるのですから、寿命の長い言葉と言っていいでしょう。

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