tedukurikotoba (2563)

花を持たせる

【漢字】花を持たせる 【読み】はなをもたせる 【意味】勝利や名声を他人に譲る。 【例文1】これからは若い者に花を持たせよう。 【例文2】世代交代で若者に花を持たせる。 【例文3】後継者に花を持たせる。 中学生の頃、先輩の卒業式の時に後輩が花束を渡すというのが流行っていました。 異性の先輩に渡すのではなく、同性の憧れの先輩への花向けとして花束を渡すという儀式でした。 わたしが後輩の時は仲のいい先輩は多くいましたが、憧れの先輩という存在はおらず、一人に渡すと仲のいい先輩全員に花束を配らなければ角が立つため、誰にも渡しませんでした。 しかしながら、毎年卒業式後は誰それ先輩の花束の数がすごかった、などと話題になるため先輩達も多少、花束の数を競っている節があり、卒業式前になると「誰かに渡すの?」と探りを入れてくる先輩や、やけに優しい先輩などいて「先輩必死だな(笑)」と、少しおもしろがっていました。 そしてわたしもいよいよ中学校を卒業する時が来ました。 自分は歴代の先輩に花束を渡してこなかったけど多少気になる、自分の花束獲得数。 花束持ってなかったよ(笑)という事態になったらどうしよう・・・ と少しだけ思っていました。憂鬱だったし早く終わらないかなーと思っていました。 そして卒業式が終わり、写真撮影が始まりました。 わたしのところにはなんと花束を持った後輩が行列を作ってくれました。 学校の近くのみんなが溜まっていたたこ焼き屋のおばちゃんに「こんなに花束もらった子今までにいなかったよ」と言われるほどでした。 花を持たせることをしてこなかったわたしが後輩たちにたくさんの花を持たせてもらい、申し訳なさとありがたさと複雑な気持ちが入り交じりました。 先輩も駆けつけてくれ、とても嬉しい卒業式となりました。

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飛んで火に入る夏の虫

【漢字】飛んで火に入る夏の虫 【読み】とんでひにいるなつのむし 【意味】虫は明るい所に飛び込む習性がある。火に飛び込んで焼け死ぬたとえから、自ら不利な状況に飛び込む。 【例文1】実力の差がありすぎて飛んで火に入る夏の虫だ。 【例文2】新規契約は飛んで火に入る夏の虫だ。 【例文3】アポ無し訪問は飛んで火に入る夏の虫 そうとは知らず、自分から危険なこと、リスキーな状況、災いの中に入って行ってしまうことを、「飛んで火に入る夏の虫」と表現します。 ちょっと調べてみたところ、「自ら進んで危険の飛び込むことのたとえ」という意味もあるようですが、「そうとは知らずに危険に飛び込んでしまう」という意味で使われることのほうが、ずっとが多いと言っていいでしょう。 多くの虫は明るい方へ近づくという習性があります。街路灯に蛾などの虫が集まっていることは、日常的に目にするものです。 そのため、このことわざの「火」は、「明るいもの」の喩えなのだと思っていましたが、調べてみたところ、本当に「飛んで火に入る虫」がいることが判明。実は、その虫が実際に火に飛び込むところから、このことわざができたというのです。 その虫とは「ヒトリガ」という蛾。「一人蛾」ではありません。「火取蛾」や「灯取蛾」の字があてられています。つまり、ほんとうに火を求め、焚火などに飛び込んで死んでしまうことがあるのだそうです。 とんでもないうかつな虫がいるものですね。「実際にはそんなことがない」というたとえ話からできたことわざや言い回しが多い中で、これは、「実際にその通りの例がある」ということわざということができるでしょう。 個人的には、天才日本画家、速水御舟の『炎舞』という作品を連想しました、紅蓮の炎の中を数匹の我が飛び回るところを描いた傑作です。あの蛾の中にも、もしかすると「ヒトリガ」がいるのかもしれません。

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手を引く

【漢字】手を引く 【読み】てをひく 【意味】これまで携わっていた事をやめる。または手を取って導く。 【例文1】上からの圧力がかかったのでこの件から手を引く。 【例文2】時効で事件から手を引く。 【例文3】主犯格が裏で手を引く。 小学校の頃、わたしたちの学校では集団登校をしていました。 地域のみんなでいつもの場所に集まって列をなして学校まで登校するのです。 個人的にそこらへんに近所のみんなで集まって登校するのではなく、学校で決められたことで、かなりの長い列でみんなで登校していきます。 高学年のお兄さんお姉さんが低学年の子達の手を引くのです。 寝坊した日はいつもの場所に行ってもうちの町内の後ろの方の人たちが歩いていたりして、とても寂しく、寝坊防止にも繋がるのです。 最悪、ある程度寝坊しても一人ぼっちで登校することは少なく、後ろの方の町内の人たちが登校しているので安心です。 大人になり、子どもが出来て思うことは、あの集団登校は絶対交通事故にならないし、遅刻をすることもなく、犯罪に巻き込まれる可能性も少なく、非常に効率がいい登校の方法だと思います。 でも、わが子の通った学校は通学路が長いのに個人で登校するスタイルで入学して間もない頃はとても心配で後ろからついて行っていました。 みんなあの集団登校スタイルにすればいいのになぁと思うのですが・・・ 低学年の子達の手を引くことになった時、高学年としての自覚が生まれるのも素敵な事だと思います。

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玉磨かざれば光なし

【漢字】玉磨かざれば光なし 【読み】たまみがかざればひかりなし 【意味】どんなに有能でも人格を高めないと立派な人間にはなれない。 【例文1】利益ばかり追求しても玉磨かざれば光なしだ。 【例文2】お客様の意見を取り入れてこそ玉磨かざれば光なし。 【例文3】学歴はあっても玉磨かざれば光なし。 「玉磨かざれば光なし」とは「どんなに立派な玉であろうとそのままにしていては光らない」という意味から派生し、「人はどんなに素晴らしい才能や資質があろうと、実際に日々の努力や鍛錬なくして立派な人間にはならない」という意味です。 このことわざは私たちが日々生活する上で常に頭の片隅に意識して置いておきたい言葉ではないでしょうか。「玉磨かざれば光なし」とはよくいったもので、どの道においてもトップをきっている人というのは、必ずそこ(=光)にたどり着くまでに相当苦労や努力を積み重ねてきた人なんだと思います。どうしても人間は楽なほうへと逃げてしまう傾向がありますから、私たちが自分のもっている玉(=精神)を磨いて、努力と鍛錬を積み重ねて立派な人間になるためには強靭な精神力と時間が要求されるでしょう。 今や日本代表のテニスプレーヤーとして大活躍している錦織選手はまさにこのことわざにピッタリ当てはまるような存在だと思います。彼は幼少期から自分磨きを怠ることなく磨きに磨きをかけてようやく今の地位にまで昇りつめた選手です。そしてその光となった今でさえ、なお玉を磨いている姿は誰が見ても頭が上がらないのではないでしょうか。 頭だけで理解するのは簡単ですが、行動に実際移して実践するのがどれほど難しいか、ということを物語っている言葉そのものだと思います。 「玉磨かざれば光なし」は「たまみがかざればひかりなし」と読みます。 玉とは玉石(ぎょくせき)のことで優れた才能を持つ人材を指します。 つまり、優れた才能を持つ人材であってもそのまま通用するものではなく、鍛錬や修学することで立派な人物となるという主張です。 これに対して「瑠璃も玻璃も磨けば光る」は、世の中には優れた人材はどこにでもいるという意味です。 しかるべき教官をつけて才能を伸ばすべく教育すれば大抵の人はそれなりに使い物になるので、まず間違ってはいないでしょう。 しかし現代において瑠璃(るり)は宝石の一種ラピスラズリ、かたや玻璃(はり)はガラス、窓やらコップに使われるガラスです。 あまりにも価値がありすぎて言葉を表記通りに受け取ると、光を反射する程度にはなるという後ろ向きな意味にもなりそうです。 実際、同じ時間をかけて同じだけの修練をさせても才能のあるなしは如実に現れてしまいます。 生まれが全てとはいいませんが、個人差というものは残酷なまでに結果に出てしまうものです。 才能に溺れて失敗する例もありますが、才能がある人間がさらに努力を重ねた場合、平凡な人間には到底追いつけないように思えます。 とりあえず究極超人には人並み以上に働いてもらい、平凡な人間はそれなりの努力でそれなりの働きをするのが無難なようです。

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周章狼狽

【漢字】周章狼狽 【読み】しゅうしょうろうばい 【意味】予想していなかった事態が起きて非常に慌てる様子。 【例文1】息子が初めて彼女を連れてきて周章狼狽している。 【例文2】火事騒ぎで近隣が周章狼狽だ。 【例文3】深夜の地震で周章狼狽だ。 驚いて慌てふためいたり、うろたえたりしてしまうことを表現する四字熟語に「周章狼狽」があります。「しゅうしょうろうばい」と読みますが、この難しい四字熟語がどうしてそういう意味になるのかは、あまり知られていないのではないでしょうか。 私もこの言葉の由来を知らないままに使っていました。私はすぐに慌ててしまう性格なので、比較的なじみのある言葉だったにも関わらず、由来を知らないで使っていました。 そのことにある時気づいて、調べてみたところ、面白いことがわかりました。 それは「狼狽」の「狼狽」の意味。この二文字だけで「狼狽する」という言い方をよくしますが、「狼」「狽」も想像上の動物なのだそうです。ふつう「狼」はオオカミと読みますが、ここでは私たちの知っているあの動物ではありません。 さて、狼と狽にはたいへん変わった体の特徴があります。狼は前脚が長くて、後ろ脚が短く、狽はその逆に前脚が短く後ろ脚が長いのだそう。それも極端なので、一匹ではうまく歩けないんでしょう、必ず二匹一組になり、狽が狼に乗っかる形になっていっしょに行動するのだと言います。 その形でないとうまく行動できず、離れてしまうと動けなくなって倒れてしまうところから、「慌てる」という意味になったのだそうです。 なんとも不思議な、そのようすを想像するとちょっと笑える語源ではないでしょうか。 ちなみに「周章」だけでも「慌てる」という意味になるようです。

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