tedukurikotoba (2563)

歯に衣着せぬ

【漢字】歯に衣着せぬ 【読み】はにきぬきせぬ 【意味】思ったことを気にせず遠慮なく言う。 【例文1】何度言っても聞く耳持たない者には歯に衣着せないとわからない。 【例文2】歯に衣着せぬ言い方をする。 【例文3】歯に衣着せぬでスッキリする。 竹を割ったような性格だとか、歯に衣着せぬ物言いをする人だとかの言葉は、 比較的良い意味で使われているような気がします。 確かに、そんな人はカッコよく感じるし、憧れる気持ちもあります。 しかし、同時にちょっと苦手意識を持ってしまうことも事実です。 私自身は、竹を割ったようなというよりも、雨ざらしでしっとりした小枝のような性格だし、歯に衣着せぬどころか、色々なものでくるみ過ぎて、結局何を言いたいのか、自分でもよく分からなくなってしまうような、はっきりしない話し方をします。 私のこの特性は、決して自慢できるところではないし、むしろ欠点で直すべきところです。 しかし、簡単に直せるものなら、いつまでもこんな特性を抱えてはいません。 こんな特性を抱える私にとって、歯に衣着せぬ物言いをする、竹を割ったような性格の人は、少々怖い存在です。 言いにくいことを、そのものズバリと言い切られると、濡れた小枝はしんなりしてしまいます。 やんわり絹で包まれるように言われるのと、歯に衣着せぬ言い方で言われるのとでは、やはり後者の方がダメージが大きく、あまり近付きたくない、話をしたくないと感じてしまうのです。 おそらく、向こうも私のような性格は扱いづらいと感じのるでしょう。 私の友人は、絹で優しく包んで、気を使って話してくれる人ばかりです。

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鳶が鷹を生む

【漢字】鳶が鷹を生む 【読み】とんびがたかをうむ 【意味】普通の親から有能な子が生まれる。 【例文1】鳶が鷹を生むと願う。 【例文2】我が子ながら二人も鳶が鷹を生んだ。 【例文3】鳶が鷹を生んだと誇らしい。 「鳶が鷹を生む」ということわざは、特別な人ではない普通の両親から、抜きんでた人材が生まれたというようなときに使われることが多いようです。 凄い研究結果で社会に大いなる貢献をした人の親に、自分の子どもについてのインタビューなどをしたときに親が言ったりします。 反対に鷹が鳶を生むということはよくあることで、二世という言葉でくくられる人達のほとんどがそうではないでしょうか。 政治家にはけっこう二世がいて、親の地盤を利用して政治家として政界に入って行く人がいます。 二世の中には総理大臣になった人もいれば、総理大臣の息子であり、なかなかイケメンで遊説の際にはお国言葉を使って会場を沸かせるという庶民的な雰囲気を持っている人もいます。 逆に二世としてたくさんの支援者を持ちながら、その支援者からも呆れられるような結婚詐欺まがいの事態を引き起こしたような人もいます。 政界は二世と言うだけで指定席券をゲットした感じでいけるところなようです。 芸能界でも二世は多く、二世ということがまず売り出す際の看板になります。 その点、歌舞伎界のような伝統芸の世界では、逆に二世であること三世であることが重い場合があるようです。 できて当然、できないと先代はこうだったという批判を受けます。

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手を広げる

【漢字】手を広げる 【読み】てをひろげる 【意味】規模を大きくする。 【例文1】事業の手を広げる。 【例文2】手を広げすぎて失敗する。 【例文3】幅広く手を広げる。 私は若い頃になにも手に職を持ちませんでした。それでたくさん損をしてきましたし、辛い思いもしてきました。だから医療の世界で生きていこうと思い、医療事務を退職して看護大学に入学を決めました。3度目の試験でやっと国家資格も取りました。そして大学病院に勤務しました。病気が治って笑顔で退院する患者さんもいれば子どもの時から入退院の繰り返しをしてつらそうにしている患者さんがいます。毎日患者さんに接しているうちもっと手を広げようと思いカウンセラーの勉強もしたくなりました。仕事が終われば独学で図書館に通って勉強したり本を読んだりしました。おかげで患者さんの気持ちが痛いほどわかりました。生命の誕生にも携わることがあり感動して助産師の免許も取りたくなって今猛勉強中です。しかし、忙しいことを理由に恋人と会う時間が減り、とうとう別れを告げられてしまいました。一時は落ち込みましたが、考えようによってはこれからの将来は結婚しても子どもを産んでも手に職を持つ時代が生き残っていけると思っているのでいりんなことに挑戦します。 私も自営業者で、あまり経営が芳しくない時に、1発を狙って、違う事業に手を広げたことがあります。結果は惨敗でしたが。 結局のところ、最初の基本コンセプトに戻ってきます。前代から受けついている事業であればともかく、自分で起業したような場合、最初自分は何を売ろうとしたのか。どうやってお客様の喜ぶ顔が見たいのか。自分はどうありたいのかというコンセプトにすべて集約されていくことに気づきました。 1発を狙って、そんなに詳しくない分野に手を広げたところで、その事業は他にも同業の方がいて、その方々と勝負しても勝てるわけはありません。他の同業の人はそれで何年も飯を食ってきているわけですので、裏技的な企業秘密なんて教えるわけもありませんし、相当な特殊で必ず成功するだろうという奇抜なアイディアがなければ太刀打ちできないのです。そこを分からず(私もそうでしたが)、これをやれば儲かるというだけで、そこに参入しても痛い目を見るだけです。 所詮は人間1人でできることは限られていきます。もしも、手を広げた事業が成功したところで、本業が回復した時にどうしますか。今度は仕事過多となり苦しいことになるかもしれません。 現在私は、本業1本に絞り込み、黙々とそれについての鍛錬を行っています。

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矯めつ眇めつ

【漢字】矯めつ眇めつ 【読み】ためつすがめつ 【意味】いろいろな方向からよく見る。 【例文1】婚活パーティで矯めつ眇めつ慎重に見定める。 【例文2】結婚相手を矯めつ眇めつ洞察する。 【例文3】矯めつ眇めつ見極める。 テレビのドラマに「やすらぎの里」というのがあります。 これはテレビ朝日のドラマで、毎日月曜から金曜までお昼の12時半からやっています。 脚本家の倉本聰さんが、団塊の世代のために書いたということで出演者の平均年齢はたいへん高いというドラマです。 主人公は石坂浩二さんで、彼を中心にして芸能界で昔活躍したという人達が老後を過ごす場所でさまざまな出来事があり、それを毎日けっこうたくさんの人が視聴しています。 ドラマの中では、高齢の石坂浩二さんが演じる脚本家が、昔まだ奥さんが元気だったころに、別に愛してしまった女性がいたこと。 その女性が震災で亡くなったこと。 その女性の孫から連絡があり、会ってみるとまるで亡くなった女性に瓜二つであったことがドラマティックに描かれていました。 石坂浩二さんは「矯めつ眇めつ」その孫を見つめて、かつて自分が愛した女性を想います。 そして、また会えるとなるとワクワクしてしまうのでした。 この「やすらぎの里」には、まだまだ恋の現役という人がけっこういるということだそうです。 高齢者が抱える問題が次々と提示されるドラマですが、高齢者も恋をするという点は重要なようで、石坂浩二さんだけでなく高齢者の恋が描かれています。 資格の勉強をするとき一種類のテキストだけだと偏ることがあるので、矯めつ眇めつのように学習していくと受かりやすくなってきます。矯めつ眇めつは(ためつすがめつ)と読みます。展示会などで美術品が通路の真ん中に置いてあるときは、矯めつ眇めつしやすいようになっています。全部の角度から見ることで、作品の魅力を伝えるようにしてあるのです。資格の勉強をするときも、何種類かのテキストを矯めつ眇めつしていくことで、傾向がわかってくるので全体像を把握しやすくなってきます。ある程度学習が進んできたら過去問題集に取り組むと合格率が上がってきます。受験しても落ちてしまう人というのは、矯めつ眇めつが足りないように感じます。一夜漬けの人もいれば、一週間ぐらい前から始めて運試しのような感じで試験を受ける人もたまにいます。簡単な資格でも一ヶ月ぐらいは勉強する時間を設けて、矯めつ眇めつしながらいろんな方面から知識を蓄えることで、難題が出ても解けるようになってきます。矯めつ眇めつしていけば、過去問もスラスラ解けるようになりますし、模擬試験でも自信が付くようになってきます。どの資格試験にもいえることですが、矯めつ眇めつをしながら学習を進めていけば、合格率の低い資格でも受かるようになります。

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秋霜烈日

【漢字】秋霜烈日 【読み】しゅうそうれつじつ 【意味】日本の検察官記章の通称である。秋の霜と夏の強烈な日差しがをたとえている。刑罰が非常に厳しいこと。 【例文1】秋霜烈日の求刑を求む。 【例文2】秋霜烈日の処罰を受ける。 【例文3】秋霜烈日の罰を下す。 秋の早朝の霜(しも)が降りるような寒さや夏の苛烈な強い日差しなどの厳しい気候を指す秋霜烈日という表現があります。 検察官記章のデザインを指す場合ものありますが、その場合は霜の厳しさばかりでなく日差しの暖かさも表現していると言われます。 実際に検察官記章の画像を検索してみると、中央の赤丸から上下左右の四方に三枚ずつ白い花びらが伸びその間に金色の三本の突起が覗いています。 白い花びらのような部分が霜で、金色の突起のような部分が日光を表現しているのでしょう。 もともとは特に秋の霜や日差しなどを考慮してデザインされた訳ではなく、平等公正に正義を追求するイメージを形にしたらしいです。 検察とは警察とは別もので、裁判所に公訴したりすることが仕事のようです。 罪を憎んで人を憎まずとは言いますが、そのような匙加減など犯罪被害者は全く要求しないでしょう。 既に社会的に罰せられているからとか何やかやの理由をつけて情状酌量を求めるのは、悪事を働いたことがばれて逃げられなくなった犯罪者です。 やりたい放題やっておいて、いざ自分が刑罰を受ける段になって慈悲を請うなど身勝手にもほどがあります。 社会の秩序を守るならば秋霜烈日の元の意味のとおりに粛々と公正な裁きを要求するべきだと思います。

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