tedukurikotoba (2563)

とんぼ返り

【漢字】とんぼ返り 【読み】とんぼがえり 【意味】目的地で用事を済ませすぐ戻ってくる。 【例文1】書類を届けるだけのとんぼ返り。 【例文2】現地について忘れ物に気付き、とんぼ返りだ。 【例文3】定休日でとんぼ返りする。 観光地巡りや地域の名産品を味わうなど、旅行の醍醐味は色々ありますが、これらを一切行わないとんぼ返りの旅行へ先月行きました。 小学6年生の子供を車に乗せて、2人で大きな川原がある場所へ行くことになり、朝から高速道路を使用して現地へ向かいました。 しかし、目的地はかなり曖昧な感じで決めていて、この場所へ行くというものではなく、川の上流へ向かい広い川原を見つけたら散策するという予定でした。 私の車にはカーナビが付いてないので、地図の本を頼りに川の上流を目指しましたが、無計画過ぎる影響が出て良い川原を見つけられませんでした。 結局その日は、離れた県へ行きとんぼ返りで帰ってきました。広い川原で遊べなかったとしても、せっかく遠い場所に来たので、現地の名産でも食べようと言っていましたが、中々良いお店が見つからず、探している間に子供が寝てしまい、食事すらしないで帰宅しました。 とんぼ返りの日帰り旅行というかドライブでしたが、この日車から見た大自然の景色は頭に残り、今でも思い出に残っています。 その話を子供にしたら、あまりにつまらないドライだったから記憶に残っていると言われ、確かにそうだよなと思いました。 今度はしっかり計画を立て、子供が喜ぶような日帰り旅行へ行きたいと考えています。

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手を焼く

【漢字】手を焼く 【読み】てをやく 【意味】対処できず困っている様子。 【例文1】赤ちゃんが泣いてばかりで手を焼く。 【例文2】言う事聞かない生徒に手を焼く。 【例文3】クレーム処理に手を焼く。 頼みもしない仕事が舞い込んだり、予期せぬトラブルに巻き込まれそうになって余計な労力を消費する事を「手を焼く」と言います。「敵の思わぬ抵抗に手を焼く」や「クレーム処理に手を焼く」いう様に用い、何か面倒事を抱えて仕方なく処理する時がまるで手に火傷でもした様な苦痛に感じる所から、そういう言い回しになったと思われます。特に身内の不始末を尻拭いする時は、一層そんな風に感じられて憂鬱な気分になるというものです。実の所、すんなりと終わると思っていた仕事に思いもよらぬ面倒事が起きて、予想通りに事が運ばないと、ついそんな感情を持ってしまうだけなのかもしれません。あっさり勝てる相手と高を括っていたら、以外に手こずってしまい余分に力を使ったと感じるのも、実は自分がきちんと相手の実力を見極められていなかっただけの事で、最初から全力を出せばすんなりと行っていたかもしれないのです。余計な仕事にしても最初に起こる事を前提に構えておけば、どんな予期せぬ事も特に動じずに対処出来るというものです。何事も予定通り行ってくれればこれ程気持ちの良い事はありませんが、如何せん何かしらトラブルは付いて来ますので、そこを踏まえておけばそこに生じる面倒臭さも幾分減るかもしれません。

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便りのないのは良い便り

【漢字】便りのないのは良い便り 【読み】たよりのないたよりはよいたより 【意味】訃報はすぐに情報が回ってくるもので、それが回ってこないというのは無事に暮らしている証拠である。 【例文1】遠く離れてしまった旧友はどうしているだろうか。便りのないのは良い便りだ。 【例文2】遠く離れて暮らす息子は元気にしてるだろうか?便りのないのは良い便りだ。 【例文3】連絡がないということは便りのないのは良い便りだと思う。 「便りのないのは良い便り」とは、平穏で無事な時は人はなかなか手紙を書かないものだから手紙が来ないという事は何事もなく無事に暮らしているということだから心配しなくていいという意味です。 特に遠方に家族が離れて住んでいると心配事も多くなりますが、何か悪い知らせや良くない事が起これば必ず連絡は来るものです。 昔は便りといえば手紙や電話などになりますが、最近ではメールなどの連絡手段が増え簡単になり、遠方にいてもすぐに連絡する事ができるようになりはしました。しかし何事もないとあまり連絡はしないものです。私も就職した事で両親や兄弟とは離れて暮らしていますが、何事もないとなかなか連絡しません。逆に急に親に電話すると一言めに「なにかあった?」と言われ、「なにもないよ。ただ電話しただけ」との言葉の交わしを毎回のようにしています。便りがないのはいい便りとはまさにこの事で離れて暮らしていると心配にはなりますが、便りがないのは何事もなく暮らしているからだと両親は思っているようです。 しかし親というものは子の声は聞きたいものだと言いますので、平穏に暮らしていてもたまには連絡して声を聞かせるのも親の声を聞くのも必要だと思います。

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十年一昔

【漢字】十年一昔 【読み】じゅうねんひとむかし 【意味】世の中の移り変わりが早く十年も経てば遥か昔の話。 【例文1】1年前のファッションなんて十年一昔の服と一緒だよ。 【例文2】十年一昔でかわるがわる芸能界。 【例文3】機械の技術が十年一昔だ。 私が「十年一昔」という言葉を知ったのは、小学校の時に読んだ壺井栄の小説『二十四の瞳』がきっかけです。 この小説の冒頭は「十年をひと昔というならば、この物語の発端は今からふた昔半もまえのことになる。」となっていて、いきなり出てきた「十年一昔」という言葉が、子ども心にも大変印象に残りました。 当時はこの小説は小中学生にとっての大定番の必読書でしたから、ある程度の世代の人の多くは、この小説で「十年一昔」という言葉を知ったのではないでしょうか。 確かに、十年というのは一つの区切りではあり、「十年前のあの頃」のことを、過ぎ去った昔と感じることはあるでしょう。 ただ、今は流行りすたりが大変早くなっているような気がします。流行語でもなんでも、あっという間に古びてしまうことを考えると、「七年一昔」とか「五年一昔」と言った方が、ピンと来るのかもしれません。 この言葉から私が連想することがもう一つあります。それは歌舞伎の人気演目、『一谷?軍記(いちのたにふたばぐんき)』の三段目、通称「熊谷陣屋」と呼ばれる場面です。 源平時代の武将熊谷次郎直実が主君の命によって、わが子を身代わりにするのですが、そのドラマのラストで、出家を決意した直実がこういうセリフを口にします。 「十六年は一昔。夢だ」 十六年前に起こった出来事が、現在の状況を生んだというところから出たセリフですが、ここでは「十六年」というスパンを「一昔」と考えているところが、面白いと思うのです。

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子どもの喧嘩に親が出る

【漢字】子どもの喧嘩に親が出る 【読み】こどものけんかにおやがでる 【意味】子ども同士の喧嘩に親が出てきて抗議する。 【例文1】些細な事で子どもの喧嘩に親が出るべきではない。 【例文2】傷害事件となるとさすがに子どもの喧嘩に親が出る。 【例文3】子どもの喧嘩に親が出るのは時と場合にもよる。 子ども同士の揉め事に親がしゃしゃり出る事を「子どもの喧嘩に親が出る」と言い、世間一般にあまり褒められた行動とは認知されていません。「親」という漢字が、木の上に立って見ると書きますので、親は子の喧嘩に関わらず遠くから見守る事を良しとされるのです。もちろんこれはあくまで1対1の場合であり、近年の様な一人を大勢で痛めつける所せん「いじめ」に関してはその限りではないと明言しておきます。力関係や状況など、時と場合によっても親の対応は変わって来ます。一昔前の様にきちんとしたルールの下で生じるたまの衝突であれば、慌てず騒がず放っておいても構わなかったのですが、時代と共に激変した今の子ども社会のルールではそうも行かず、出るべき時は出て行かないと今度は親の方が後悔するなんて事態になるやもしれません。本来は「所詮は子どもの喧嘩」と突き放す事で成長を見守っていられたのが、様々な情報の流通により子どもの喧嘩の質がかつての様には行かず、何か陰湿さが際立ちスカッとした喧嘩ではなくなってしまった感じがするのです。そもそも今の子ども達は圧倒的に喧嘩慣れしていない子が多いと思われますし、下手に加減の判らないままやらせてしまうと決して大袈裟ではなく、命の危険に関わる事もあるのです。子どもの喧嘩に出てくる親ほどみっともない事はない。それは子を溺愛する親の愚行と称された故ですが、今は親としてきちんと状況を把握し、適切な対応が求められる御時世となっている事を知っておく必要があります。 自分の子供は小学3年生になるのですが、いつも仲良く遊んでいる隣の家に住む友達と喧嘩した時の話です。自分は仕事が休みだったので、家でのんびりしていたら子供の泣き声が響き渡りました。自分の胸に飛び込んできて「どうしたのか?」と聞くと隣の友達と喧嘩したと言いました。喧嘩の内容を聞くと、うちの子供が他の友達と遊んでいたら隣の友達が割り込んできて自分の子供と遊んでいた子供の邪魔ばかりするので、うちの子供が怒ったら、肩を突き飛ばしてきたらしくそれにムカついた自分の子供が掴みかかり、もみくちゃになったそうです。先生が喧嘩を止めにきて、喧嘩が終わったそうなのですが、それから学校で顔を合わせる度にわざと顔を背けて無視するそうなのです。 それは良くないと自分も思い、謝りに行こうと誘ったのですが、子供は頑として「嫌だ」と言っていうことを聞きません。すると、家のインターホンが鳴り、出てみると隣の親と子供がインターホンの画面に映っていました。先に謝りに来てくれたと思い、申し訳ない感じでインターホンに出たら、声がいつも喋ってるより低いトーンで明らかに怒っている感じで呼び出されました。 子供と一緒に出た自分は「うちの子供が手を出してしまって申し訳ありません」と謝ったら、「お宅はどういう教育しているのですか、うちの子供に手を出すなんて」と言われ、「先に自分の子供が手を出したんじゃないですか」と言うと言い合いになりそうだったので、我慢して「すいません」と謝りました。それから首を獲ったかのように上から目線で「お宅の子供は怪我しても構わないかもしれませんが、うちの子はこれから大事なサッカーの大会があるので怪我したらどうするのですか」と言ってきました。「そんなこと知らねーよ。子供の喧嘩ごときに親がシャシャリ出てくるな。」と言いたかったのですが、ずっと謝っていました。相手はスッキリしたのか「これからは気を付けてくださいね。」と言って帰っていきました。 それから隣の人と親同士で付き合うことはなくなりましたが、子供同士はいつの間にか仲直りして今でも仲良く遊んでいます。

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